歴史を語る言葉の軽さこそ、日韓の相互不信を深めてきた。—申一徹・李御寧の言説と戦後知識人をめぐって—

本稿は、申一徹氏や李御寧氏の言説を手がかりに、日韓関係をめぐる知識人の発言がいかに歴史認識の混乱と相互不信を深めてきたかを批判的に論じるものである。
筆者は、日本が古代から韓国を上国として仰いできたとする議論や、日本人より韓国人の方が本質的に優れているとする言説に対し、史実を軽視した不正確な歴史観であるとして強く異議を唱えている。
同時に、歴史とは怨念ではなく人類共通の文化遺産であり、より客観的で謙虚な姿勢が必要だとする本文の結語にも注目し、日韓歴史認識、知識人の責任、戦後文化人批判をめぐる問題を提起する一文である。

2019-03-13
*空海や菅原道真が、大江健三郎や村上春樹を厳しく叱責するであろうことは、具眼の士には黙っていても分かるだろう。*

以下は前章の続きである。

前述の申一徹氏は70年代初めに次のように記している。

〈元来、東北アジア文化圏のなかでは日本は、『倭人』といって中華文化の中心から遠く疎外された『絶域』に属していたという文化的「庶子」意識の劣等感が長期にわたって内在していた。
伝統文化の序列は、どこまでも中国-韓国-日本(倭)という厳然たる順序ができあがっていたから、古代から倭は韓国を上国とあがめていた。〉

笑止というほかはない。
当時も現在も、日本人の誰がこんなことを考えるだろうか。
開いた口が塞がらないとはこういうことを言うのだろう。
それが哲学者で教育人だというのだから呆れる。

1982年2月号の『月刊朝鮮』には、『「縮み」志向の日本人』を書いた李御寧氏の次のような文章が載っている。

〈世界には二大不思議がある。
日本に行って日本人一人一人をよく見ると、どこか足りないところがあって、顔かたちはまあまあです。
そんな印象なのに、どうしてこういう人々が集まって、こんな世界的な経済大国を作り上げたのか。
それが不思議の一つですね。
逆にもう一つ正反対の不思議があります。
一人一人見れば、韓国人は絶対に日本人に遅れておらず、むしろ先に進んでいる人々です。
そういう立派な人々が集まって形成した社会がなぜ過去には日本人に支配されるほど弱い国であったのか。
これまた不思議の一つですね。
結局、日本の集団主義と韓国の個人主義の差が今日の両国の差になったのです。〉

もっと自国の歴史を知ってもらいたいと思うのは、わたしだけではないだろう。
中国、日本の両国にいったい何度侵攻されているのか。
何人の人質を送っているのか。
どれほど多大な貢ぎ物を差し出しているのか。
それもずっと。
古代は日本に支配されていたという史実を、学者であるにもかかわらず、知らないのだろうか。

これほど言葉を軽んじ、推量や思惑でものを言うのは、捏造や歪曲に近い。
*朝日新聞や野党の政治家たちの言説の源流には、こうした朝鮮半島側の歴史認識があるのだろうと、多くの人が感じるはずだ。*

他国に対して自国が優秀だという意識が強すぎるのは、歴史的コンプレックスの露呈でもある。

わたしは韓国の作家たちと何度も酒をともにしたことがあるし、友人もいる。
個人的には好韓だが、最近の言動は目に余る。
行き過ぎは国家間の友好を損なう。
日韓の大学教授たちのマイノリティ文学の集まりに加えてもらい、ブラジルで一緒においしい酒を飲んだこともある。
韓国の大学で講演をしたこともある。
だが、大学でのシンポジウムの後で、日韓の歴史認識のやりとりを目の当たりにして、彼らの多くが自らに関わる書物や自国の「正史」を読んでいないことに気づかされた。

わたしが知るかぎりでは、日本は公然と韓国を貶めたり、「口撃」したりはしていないはずだ。
それに対して、失礼な言い方だが、韓国は政治家や知識人が、自らメディアに対して悪意ある発言を繰り返している。
それでは政治は前に進まない。
ここに述べられている当時の紀行作家や宣教師たちの声や、中国・日本の歴史書に記されていることを、もう一度探ったらどうか。
自らの「歴史」をなくしたなら、別の史実から探っていくしかないではないか。

人間は自分の背中は見えない。
糸くずやシャツが出ていれば、人に教えてもらわなければいけない。
他者に配慮することや、謙虚になることは、人間だけの特権であり、やさしさではないのか。

申一徹教授には、なによりも言葉が歴史をつくるということを強く意識してもらいたい。
哲学者なら哲学という言葉の意味を記憶して発言してもらわねばならない。
哲学とはギリシア語の「sophia(智)をphilein(愛する)」ことではないか。
物事の根本原理を探求することではないか。

また、わたしには李御寧氏の文章が知識人の言葉だとはとても思えない。
こういう乱暴な言葉に出会うと、日本人なら誰でも身構えるから、一層嫌韓が増えることを危惧する。

そもそも「歴史」に国家の悲劇はつきものだ。
日本も原爆を落とされている。
過去に恨みの目を向けるだけでは「歴史」は構築できないはずだ。

歴史は人類の共通の文化遺産なのだ。
少しでも客観的な目が必要なのは言うまでもない。
(歴史通2015年7月号初出)

*空海や菅原道真が、大江健三郎や村上春樹を厳しく叱責するであろうことは、具眼の士には黙っていても分かるだろう。*

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