「渡来人」は歴史を歪める新造語である。—「帰化」「帰朝」を消し去ってはならない日本古代史の真実—
本稿は、古代史において広く用いられるようになった「渡来」や「渡来人」という言葉に疑義を呈し、日本古代史の理解そのものが新造語によって歪められていると批判する論考である。
『日本書紀』『三国史記』『宋書』『南斉書』『論衡』などの記述を踏まえ、当時の史料に見えるのは「帰化」「来帰」「来朝」「帰朝」であり、「渡来」という語ではないと指摘する。
さらに、半島から来た人々を一括して「渡来人」と呼ぶことの危うさを論じつつ、文字と言霊を軽んじれば歴史そのものが歪むと警鐘を鳴らしている。
2019-03-12
日本についての記述は中国の書物にはたくさん出てくるし、すでに「倭国」としての存在も書かれている。
以下は前章の続きである。
「渡来」は新しい造語。
また近年、古代史において「渡来」という文字が多用されるのはどういうことだろう。
わたしは歴史的には首を傾げざるを得ない言葉だと思っている。
「帰化人」が適切ではないという理由で金達寿氏たちが提唱し、定着したのが「渡来人」という言葉だが、わたしは「記紀」にも載っていないこの言葉に疑問を抱いている。
『日本書記』には「帰化」「来帰」「来朝」「帰朝」という文字が多く見られるが、「渡来」という言葉は、わたしには見つけられなかった。
一方、「三国史記」には「来投」「投亡」「亡人」という文字が見られる。
これらの意味は飢餓や貧困、戦禍によってその地を離れることだ。
そうして半島を離れた人々が日本にやってきた。
それを「渡来人」という一言で片づけていいものか。
『宋書』や『南斉書』によれば、倭王は朝鮮全土の統治者として認められている。
そんな強国に、半島人が新たな文化とともに渡来してくるとはとうてい思えない。
本来、「渡来人」という言葉には「海を越えてやってきた人」という以上の意味はないが、迫害を受けて逃げてきた者や、豊かな土地を求めて移植した者もいるだろう。
自国で何不自由なく暮らしている人間が、なにも危険をおかしてまでやってくる理由はない。
さまざまな境遇の人々がやってきたと考えるのが筋だ。
それに対して「帰化」は、元来、中華思想により、異民族が君主の徳によって感化されて従うことを意味する。
「帰朝」は本国に戻ってくることだ。
『日本書記』にはそれらの言葉が書き残されているのに、今日、「渡来」や「渡来人」という言葉が主流になり、わたしたちはそこから歴史を見ようとしている。
いったい歴史学者たちは新しい造語を使って、どんな教育をしようとしているのだろう。
「帰化」「帰朝」という言葉が使われたのには理由がある。
まして上代は現在より「言霊」を大切にしていたはずだ。
日本人の精神的バックボーンになるのが、この「言霊」と「怨霊」だということは多くの人たちも知っている。
その彼らが「帰化」や「来化」、「帰朝」と頻繁に記しているのだ。
半島から日本に戻ってきた、日本に帰属したという意識で書かれていると考えるのが筋ではないか。
それを当時の書物に一言も載っていない「渡来人」などという言葉を使って、歴史を探っていこうとするのはどうかしている。
半島にも倭国があり、あるいはそれに付随する国があったから、彼らはそう書いているのだ。
文字を軽んじると歴史は歪んでくる。
日本についての記述は中国の書物にはたくさん出てくるし、すでに「倭国」としての存在も書かれている。
『論衡』には「周時天下太平 倭人来献暢草」、周の時代は天下太平にして、倭人がきて暢草を献じたとある。
暢草は酒に浸す薬草のことを指すらしいが、朝貢についても事細かに記されている。
『普書』や『梁書』には倭人の祖先は呉の太伯の子孫と書かれている。
この稿続く。