新左翼への回帰と歴史学の劣化。ライシャワー路線を歪めた日本研究の危機。

戦後日本研究をめぐる学界の潮流は、客観的で実証的な歴史研究から再びイデオロギーへと傾きつつある。
本稿は、伊藤隆氏らの対談を通して、新左翼的歴史観への回帰、ライシャワー路線の修正、そして日本の歴史学界と米国学界に広がる「日本暗黒史観」の問題を批判的に考察する。
実証より陣営論理が優先される現状への、鋭い警鐘である。

2019-03-07
彼女は元新左翼でしたが、私の指導で非常に実証的ないい仕事をしました。
私と関わりがなくなったとたんに元の新左翼に復帰しましたが、そういう人はたくさんいます。

以下は前章の続きである。

ダワー一派に修正されたライシャワー路線。

福井。
伊藤先生が、1960年代に出されたフレームワークは、それまでの一般的な意味での右と左、あるいは復古と進歩という横軸に、革新と現状維持という縦軸を加えた画期的なものでした。
この枠組みでは、通常の横軸で見れば、左右の両極として相容れないように見える共産主義といわゆる国家社会主義は、縦軸で見れば、革新あるいは革命勢力と言う点で同じグループなのです。
当時、多くのマルクス主義者が一転して「天皇制ファシスト」になったことは、ある意味、自然なことでした。

先生がこの枠組みを提唱された後、同じような見方が、海外で全然違う文脈で注目されました。
ゼーヴ・ステルネルという、かつてフランスで活躍したユダヤ人歴史政治学者の手になる、『Ni droite ni gauche』(1983)という本があります。
タイトルは「右でも左でもなく」という意味ですが、世界的に話題になりました。
英語版も出ています。
彼はフランスを例に、従来の右とか左では理解できない、戦前欧州の政治状況について、重要な指摘をしています。
英国のように現状維持勢力である伝統的保守が強い国では、革命勢力であるファシズムが弱く、逆に、現状維持勢力が弱い仏独伊では、マルクス主義とならんでファシズムが、大きな勢力となり、独伊では政権を取った。
「革新と現状維持」という先生の提唱された枠組と同じなんです。
先生の論文を読んだのではないか。
そう思わせるほど似ています。
先生は自著の英語版を出されてないですよね(笑)。

伊藤。
出していません。
ただ、英語になった私の論文という意味では、スタンフォード大学だったと思いますが、そこで行われた国際会議でスピーチしたものが英訳されていますね。
こういう見方をすればいろいろ見えてくるものがあるのではないか、そういう提案でした。

『歴史と私』(中公新書)でも書いたのですが、批判する人はこっちを向いて批判するわけではなくて、自分の陣営に向かって批判を述べる。
伊藤のような人に騙されてはダメよとね(笑)。
無視する、黙殺するという批判のしかたもある。

江崎。
伊藤先生の、正しい修正主義的な仕事を無視することで、誤謬だらけの「定説」にしがみつこうとしているのが今の日本の歴史学会や一部マスコミなんでしょうか。

伊藤。
大げさにいえばそうでしょうね。
私のゼミ生の多くもそちら側へ行くか、触れないようにしています。

江崎。
WiLLの十二月号で、加藤陽子氏をテーマにして岩田温さんと対談したのですが、記事タイトルは「加藤陽子センセイ、中高生を誑かさないで!」、彼女も先生のゼミ生の一人でした。

伊藤。
彼女は元新左翼でしたが、私の指導で非常に実証的ないい仕事をしました。
私と関わりがなくなったとたんに元の新左翼に復帰しましたが、そういう人はたくさんいます。
中大の吉見義明氏もそうです。
彼は、慰安婦問題で、今でも理解しがたいことをやっていますね。

福井。
アメリカでも同じような傾向があって、1940年代生まれよりも後の若い世代の研究者が、マルクス主義的歴史解釈に先祖返りしています。
世界的な傾向と言えるかもしれません。
ジェームズ・グレガーの『Totalitarianism and Political Religion』(2012年)を読むと、日本の政治体制はファシズムとはとても言えない、と書かれています。
いま彼は伊藤先生と同じく、80代。
しかし、アメリカでも若い世代の方が「日本暗黒史観」という先祖返りの傾向が見えてくるんです。

伊藤。
結局、コミュニストでソ連のスパイと疑われていたハーバート・ノーマンに比べて、はるかにまともだった、エドウィン・ライシャワーの客観的な対日歴史観も否定されつつある。
それも悪しき修正主義ですよね。
ライシャワーの最後の弟子ともいうべきジョージ・アキタはまだ現役で活躍していますが、それ以外の人たちはほとんど“アンチ・ライシャワー”路線ですからね。
ハーバード大学のアンドルー・ゴードンも。
そうでないとアメリカの大学では、日本研究者として就職できない。

私のゼミにいた人たちの多くもそちらへ行ってしまった。
しかし、彼らの研究は残念ながら何を目指しているのか理解できないようなものが多い。
テーマは政治の中枢にふれないで、些末な問題を大きく取りあげる。
真っ正面から物事に取り組む姿勢を馬鹿にするというか、そこから逃げている。
論文や著作の刊行、点数を稼げばいいわけです。

江崎。
折角、「日本暗黒史観」ともいうべき近代日本の見方をライシャワーが、『日本近代の新しい見方』(講談社現代新書)などで軌道修正してくれたのに、ジョン・ダワーのようなニュー・レフト、新左翼の研究者がいつのまにか台頭し、路線闘争をやり、ライシャワーの路線が次々に修正された。
ニュー・レフトのジョン・ダワーたちが、アメリカの学会の対日・アジア研究を乗っ取ってしまった。
そのことをハワード・ショーバーガーが左の立場から誇らしげに書いていました。
『占領1945~1952 戦後日本をつくりあげた一人のアメリカ人』です。
グルーはともく、『ヴェノナ』にも出てくるビッソンなどを評価するのは間違っています。

この稿続く。

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