ボーっとしていたのは日本ではなく支那朝鮮である――高山正之が説く縄文・弥生・漢字受容の真実
2019年8月16日発信。
高山正之氏の著書『韓国とメディアは恥ずかしげもなく嘘をつく』の前書きを紹介し、縄文時代、火焔土器、弥生時代、渡来人、朝鮮半島経由の文化伝来、日本語と漢字の受容、万葉仮名の発明をめぐる歴史観を論じる。
司馬遼太郎の「日朝同祖」論への違和感、ザビエルや幕末・明治期の外国人が見た日本人の好奇心と行動力を通じて、日本人が決して「ボーっとしていた」民族ではなかったことを示す論考。
2019-08-16
はっきり言ってピンとこない。
同祖なのに言葉が全然違う。
共通の名詞もない。
土方も沢庵も日帝支配で教えてやった言葉だ。
それに民度も心根も違う。
以下は2019/6/30に徳間書店から「韓国とメディアは恥ずかしげもなく嘘をつく」と題して出版された、戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである高山正之の最新刊の前書きからである。
日本国民全員が必読の書であり、今すぐ最寄りの書店に購読に向かわなければならない。
世界中の人にとっても必読の書であるが、これについては私が、拙い英語力で恐縮ではあるが、できるだけ、世界中の人たちに知らしめたいと思っている。
ボーっとしていたのは日本ではなく、支那朝鮮のほうだ
子供のころ、縄文時代はすごく原始的で縄文人は海辺で貝を拾い、山でブナのどんぐりを拾って食っていた、定住もしていなかった風に習った。
小学校の遠足で海辺に行ったとき先生が岩場にびっしりついていた小さな貝を摘まんで「縄文時代はこれを食っていた」と言った。
名は玉黍貝。
サザエをうんと小さくした姿をしていた。
少し大人になって海に潜りサザエやトコブシを採ったついでにタマキビガイも拾って茹でてみた。
爪楊枝で身を出して食べてみたら結構いい味をしていた。
それにしても何で縄文人はサザエでなくて玉黍貝だったのか。
そんな愚鈍だったのか。
それも不思議なら、その時代に火焔土器も作っていた。
均整の取れた斬新で奔放な作風はずっと後世の歪んで縮こまった朝鮮陶器より遥かに清々しい。
玉黍貝と火焔土器と。
その同居がずっと理解できなかった。
そんな貧相な縄文時代が今から2000年前に俄かに終わったと教科書は言う。
渡来人が稲作と金属器文化を持ち込んできて弥生時代が始まったと。
では縄文人はどこにいったのかと聞いても教科書は答えない。
縄文系は少し残った。
耳クソがねちねちしたのが縄文系で、渡来系は乾燥した耳クソだと誰かが言った。
日本の先住民、縄文人は欧州のネアンデルタールや米大陸のインディアンみたいに大方が渡来人に殺されたようだが、そういう殺伐もまたぴんとこなかった。
しかし弥生人はそれから500年間、田んぼ仕事が忙しかったか何も記録がない。
応神天皇のころ、朝鮮から千字文がきて、その100年後の538年、百済の聖明王が欽明天皇に仏教の経典を伝えた。
「ゴミヤ(538)が拾った仏様」なんてゴロ合わせもあった。
日本はここからやっと一人前の国になっていったというが、朝鮮半島経由の渡来人と文化が日本人の始祖風に言う。
現に司馬遼太郎も『韓のくに紀行』に「朝鮮は日本より古くから堂々の文明と独立国家を営んだ歴史を持つ」と言い、「日朝は同祖」とも言う。
はっきり言ってピンとこない。
同祖なのに言葉が全然違う。
共通の名詞もない。
土方も沢庵も日帝支配で教えてやった言葉だ。
それに民度も心根も違う。
例えば紀元1世紀、「漢委奴国王印」が届く。
日本人と漢字の出会いだ。
同し時期、ベトナムや朝鮮も漢字に出合ってのめり込んでいった。
朝鮮人は自国語の半分を捨てて漢字言葉に走った。
でも日本では何も起きなかった。
「日本人はただの模様だと思った」と馬鹿な学者は言う。
それから千字文が伝わってくるまで日本人はただボーとしていたのだと。
同し日本人にザビエルは聞き齧(かじ)りのコペルニクスの地動説を話した。
そしたら「日本人はイエスはそっちのけ、目の色を変えて星と太陽の話をせがんだ」とマカオに手紙を出している。
幕末。
英フェートン号が長崎港で狼藉を働くと、日本人はすぐ英和辞典「諳厄利亜語林大成」を作った。
「敵を知るために彼らは勉強した」とオランダ人が記録する。
明治維新のお雇い外国人も日本人の好奇心と行動力に驚く。
エドモンド・モレルが鉄道の仕組みを教えて僅か2年後に日本人は汐留から横浜まで汽車を走らせた。
ボーつとした日本人などどこにもいない。
むしろ欧鯨米虎を前にボーっとしていたのは渡来人の故郷、支那朝鮮のほうだ。
言い換えればボーっとするような渡来人は日本に渡来していないと解釈したほうがいい。
では「漢委奴国王印」のときにボーっとしたのはなぜか。
西尾幹二は『日本の歴史』で日本人は確かに漢字を見て驚き、魅入られたが、それに嵌ると日本人のしなやかな情感を表現することを諦めねばならないことを見抜いた。
そして500年。
「日本人は万葉仮名を発明して日本語を殺さず漢字を使う術を見つけた」と説明する。
この稿続く。