英語下手はむしろ誇りである――高山正之が説く「ピジンがいい」という逆説
2019年9月5日発信。
週刊新潮に掲載された高山正之氏の論考「ピジンがいい」を基に、日本人の英語教育、グローバル化信仰、白人社会における英語と植民地支配の関係を論じる。
英語下手は、むしろ日本が世界に通用する歴史と文化を持ち、植民地にならなかった証であるとし、流暢な英語よりも自国語への誇りを持つべきだと説く。
2019-09-05
「その点、世界に通用する歴史と文化を持つ我々は自国語で不足はなかった」と次官は言う。
英語下手はむしろ誇りだと。
それでも英語を喋りたいならピジンがいい。
以下は今日発売された週刊新潮に、ピジンがいい、と題して掲載された高山正之の論文からである。
今回も、彼は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を見事に証明している。
「日本人はアジア人の中で 一番英語下手だ」と岸田秀先生は言う。
何でそんな下手か。
「日本人は米国に二度レイプされた。
一度はペリーによる開国。
そして二度目が先の敗戦だ」
「それがトラウマになって彼らの言葉をへらへら喋ることに心が躊躇うからだ」と分析する。
それが当たっているかはともかく、日本人が支那人や韓国人より英語下手という一点が文科省はどうにも許せなかった。
で、グローバル化に対応した「英語教育改革」を始めた。
中学からの英語教育を小学校まで下ろした。
先日テレビのクイズ番組を見ていたら、小学生英語では「toothの複数形」も教えている。
大したものだ。
教育方針も「読む」や「書く」より外人と生会話ができる「喋る」により重点を置く。
大学入試もそれに倣って「喋る」試験を民間業者に委託することになった。
それに勢いづいて英会話屋はテレビCMまで打つ。
紅毛がペラペラ英語で話しかける。
それをきっちり聞き取って流暢に受け答えするおばさん、みたいな映像が流れる。
ただ、日本にきた外人が早口英語をまくし立てる風景をさも当たり前のように扱うのには違和感がある。
日本人なら「地球の歩き方」とかを読んで相手国の挨拶言葉くらいは覚えて出かける。
それが国際マナーというものだ。
しかし外人の中には日本語を覚えもせず、英語は国際語だ、知らない方が悪いみたいな雰囲気でペラペラやる者が確かにいる。
そんな無礼にまでへりくだって早口を聞き取れるよう努力し、なお親切に且つ滑らかに答えるのはむしろ卑屈に見える。
せめて「ゆっくり話せ」から会話を始めるべきだろう。
だいたい日本人が黄色い顔して流暢な英語を操ると、ペラペラまくし立てる連中に限って、瞬間たじろぎ、やがて露骨に嫌悪を露わにしてくるものだとジョージ・オーウェルが『ビルマの日々』に書いている。
舞台はイラワジ川を見下ろす白人専用のクラブハウス。
くつろぐ一人がビルマ人執事に「氷はまだ残っているか」と聞く。
「僅かです。旦那様」と答え「I find it very difficult to keep ice cool」と続けた。
聞いて白人が怒りだす。
「お前らはcan’t keeping ice coolと言え」
お前らは気取った英語を喋るな。
ピジンイングリッシュでいい、ボケ、ほどの意味だ。
ピジンとは植民地人が喋る文法も時制もない会話英語を言う。
スタインベックも『エデンの東』の中で支那人リーに非白人種の望ましい喋り方を語らせている。
リーは物語の舞台となるトラスク家の執事。
異様な辮髪姿でたどたどしい英語を話す。
あるときアイルランド人サミュエルと馬車で出かけると、サミュエルは「普通に喋れよ」と言う。
実はリーはカリフォルニア大を出た俊秀。
流暢に英語を話せるが、それを隠し、辮髪も切らないのは「白人とうまく付き合うための知恵」と語る。
そうすれば波風は立たない。
リーの哲学だ。
それは今にも通じる。
安倍晋三は米国の大学に留学経験を持つ。
まともな英語を話すのは米議会での演説でも分かる。
それでもトランプは「安倍首相の訛った英語を真似てからかった」(産経新聞)。
あれより滑らかだと角が立つのだろう。
昔会ったトルコの文部次官は「トルコ人と日本人は知られた英語下手だが、それは一度も彼らの植民地にならなかった証だ」と言った。
支那人を含め、アジアの民は生きるために英語を喋らねばならなかった。
戦後、独立しても自立に足る科学技術はもっていない。
結局は宗主国の言葉で学ぶ以外に手はなかった。
「その点、世界に通用する歴史と文化を持つ我々は自国語で不足はなかった」と次官は言う。
英語下手はむしろ誇りだと。
それでも英語を喋りたいならピジンがいい。
もっと彼らに喜んでもらえる。