資本主義陣営の学校で見た、冷戦期日本思想界の反転構造

2019年11月6日発信。冷戦期の日本思想界が左翼思想に覆われていた時代、著者が高校教師として赴任した進学校は、企業幹部や銀行頭取など実務家の子弟が通う、完全な資本主義陣営の世界だった。社会主義経済の崩壊を予感した体験から、エピクロスの快楽主義と有用主義への転換点を論じる。

2019-11-06
そこは実務家の子弟ばかりが通う進学校で、父親は企業の幹部や銀行の頭取、組織の経営責任者ばかりだった。
知識界とは真逆の完全な資本主義陣営だったのだ。
以下は前章の続きである。
先を見ながら荒野を歩く。
裏街に政府から失業給付を廃止された人々の姿を視た私は、社会主義経済がやがて崩壊するという黙示に慄然とした。
だが、日本では誰も知らないし、考えもしない。
知識界はすべて社会主義陣営によって塗りこめられていた。
進歩的といわれる大学教授も、大手新聞社の記者も、良心的といわれる出版社編集者のすべても、言論人もジャーナリストも、監督も俳優も、TVコメンテーターも、みな理想的か空想的かを問わず左翼であった。
それが冷戦期の日本の思想界の実情であり、彼らはわが世の春を謳歌し、アグレッシブに資本主義陣営の財界・政界・官界の実務家たちと対抗していた。
そんな時代に日本にいて私が幸福でいられるはずはないではないか。
まだ26歳だった。
指導教授が私学会館の名簿に名前を書いてくれば教師になれるよと教えてくれたので、そのようにするとすぐに連絡があって高校教師になった。
「背後霊憑依法」で40科目くらい取っていただろうか、教員資格も自然に取れた。
ところが行くとそこは実務家の子弟ばかりが通う進学校で、父親は企業の幹部や銀行の頭取、組織の経営責任者ばかりだった。
知識界とは真逆の完全な資本主義陣営だったのだ。
父親は強い権力主義者、母親は美人ではんなりした人たち、子供たちは能力別学級で資本主義の競争社会を生き抜けとゴリゴリ教育されていた。
教育が嫌いな私は、教育全開のここでも幸せにはなれなかったので、2年でやめ、食うに困って韓国にわたった。
紹介してくれた者には悪意があった。
悪意に敏感な私にはすぐに分かったが、相手が無自覚だったので放っておいた。
それにもう行き場がない。
「人生には無限の可能性がある」とか、「人間のすることに意味のないことはない」という、高校教師の励ましはぜんぶ空元気に思われた。
本当は、先の見えない荒野でしかない。
「万物は偶然」であり、因果ストーリを作り、先見しながら歩くしかない。
だから不幸なのが当たり前なので、エピクロスはこう教える。
「快は第一の生まれながらの善であるがゆえに、まさにこのゆえに、われわれは、どんな快でもかまわずに選ぶのではなく、かえってしばしば、その快からもっと多くのいやなことがわれわれに結果するときには、多くの種類の快は、見送って顧みないのである。また、長時間にわたって苦しみを耐え忍ぶことによって、より大きな快がわれわれに結果するときには、多くの種類の苦しみも、快よりむしろまさっている、と考えるのである」。
つまり「結果の快=善」を先見しながら取るべきだということ。
「そこで、どんな快も、われわれに親近な本性をもっているかゆえに、善であるが、しかも、どんな快でもかまわずに選ぶべきではない。それはちょうど、どんな苦しみも悪ではあるが、いつも本性上避けるべきものであるとはかぎらないのと同様である。とにかく、われわれは、それぞれを測り比べ、利益と損失を顧慮することによって、これらすべての快と苦しみを判別しなければならない。というのは、われわれは、或る場合には、善を悪として扱うし、反対にまた、悪を善として扱うこともあるからである」(「メノイケウス宛の手紙」H―2)。
ここが快楽主義者が有用主義者に変ずる転換点である。
つまり、究極的に利益を生まないもの、損失を与えるものは快楽主義者にとって悪である。
澁澤龍彦『快楽主義の哲学』(文春文庫、1996年)は、快楽主義者を耽美主義者と思い違いをしているので、読者にはぜひ気を付けてほしい。
この稿続く。

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