朝鮮半島四つの選択肢――日本にとって最も「マシ」なのは現状維持である
2019年11月8日発信。月刊誌Hanadaの特集「文在寅総崩れ」に掲載されたエドワード・ルトワック氏の論文から。北朝鮮の核保有、朝鮮半島の統一と非核化、中国の影響拡大が日本にもたらす危機を分析し、韓国人の反日感情をオランダ人の反ドイツ感情との比較から論じる。
2019-11-08
朝鮮半島全体が中国の支配下に置かれたら、日本にとって大災厄になる…日本はこめかみに銃を突きつけられた状態に陥る。
以下は月刊誌Hanada今月号の、文在寅総崩れ、と題した特集の冒頭を飾るエドワード・ルトワックの論文からである。
韓国よ、歴史の真実を学べ。
朝鮮半島四つの選択肢。
日韓の歴史問題を語る前に、北朝鮮が核弾頭の小型化についに成功し、核ミサイルを完成したとみられる現実から始めたい。
これで日本の危機は、後戻りできない段階に突入した。
日本の立場から見た、朝鮮半島における核武装の問題が、いかに複雑で深刻かを確認してみよう。
北朝鮮が核を保有する現実は、日本にとって極めて不快だろう。
ところがその一方で、われわれが認めなければならないのは、北朝鮮の核兵器は、中国からの自立と存続を保証しているということだ。
そう考えると、いまの厳しい現実が突きつけるのは「日本人は今後の朝鮮半島がどうなるのを望むか」という課題である。
朝鮮半島の将来には四つの選択肢があり、図のようなマトリックスで描くことができる(37P)。
左右の軸は「核保有」と「非核保有」(非核化)であり、上下の軸は「統一朝鮮」と「分断朝鮮」だ。
現状では、朝鮮半島は分断国家となっていて、北のみが「核保有」している状況だ(左上)。
もし、われわれが「分断朝鮮」と「非核化」の実現を望むなら、北朝鮮は中国に完全に取り込まれ、植民地になるだろう(右上)。
ただし、北朝鮮の核が中国からの自立と存続を保証している以上、北朝鮮がこれを手放す可能性は非常に低い。
分断国家のままの非核化という、過去の状態に戻すのは現実的に困難だ。
もし核兵器を持ったまま「統一」してしまうと、日本は核武装した半島統一国家に対峙・直面することになる(左下)。
これは北朝鮮よりもさらに危険な敵対国家となり、日本にとって最悪の事態だ。
そして、「非核化」された「統一朝鮮」という選択肢もある(右下)。
米中が望む方向だが、その場合、米軍が駐留しない限り、統一朝鮮は中国に取り込まれる公算が高くなる。
韓国が中国に併合されたら、日本との歴史問題がはたしてどうなるか、私にはわからない。
ここで言いたいのは、朝鮮半島全体が中国の支配下に置かれたら、日本にとって大災厄になる、ということだけだ。
日本はこめかみに銃を突きつけられた状態に陥る。
統一朝鮮は、核を保有しない限り、国家として存続することは難しい。
非武装地帯(DMZ)が崩壊すれば、統一朝鮮側がアメリカに米軍を残すよう嘆願する理由がなくなるからだ。
したがって、「統一朝鮮」と「非核保有」の組み合わせは、基本的に中国の影響下に置かれる可能性が高い。
現状維持(左上)以外の三つの選択肢は、すべて日本にとって望ましくない。
四つのどれも最悪のなかで最も「マシ」なのが、現在の朝鮮半島の状況を維持することだ。
私はかつて、日本は北朝鮮に対する先制攻撃能力を持つべきだと提案した。
しかし、北が核ミサイルを完成させた以上、日本が現実的に取りうる選択肢は、分断朝鮮の維持しかなくなった。
ここまで来た以上、日本の外交は柔軟かつ受動的になるしかない。
これが私の分析である。
日韓衝突は韓国の問題。
韓国の行動の基本は、従属相手を切り替える点にある。
彼らは日本に従属したあと、アメリカに従属した。
そして、いまや中国に従属しようとしている。
韓国のやり方を間近に見てきた日本の皆さんはすでにお分かりと思うが、日韓関係というのは外交問題ではなく、二国間交渉では解決できない。
これは韓国自身の問題なのだ。
そのことは、ドイツが欧州で直面した歴史問題と比較してみると、分かりやすいと思う。
第二次世界大戦が終わるまでに、ドイツはロシア人を二千万人以上殺害していた。
一九四五年の終戦から十年経っても、ロシアの反ドイツ感情はまだ激しかった。
それから七十年以上経過した現在、ロシアでは反ドイツ感情はすべて消え去っている。
韓国人の日本への反感は、七十四年経ってもいまだに残っている。
これは一体なぜなのか?
理解するには、ドイツとオランダの関係と比較していく必要があるだろう。
ドイツが戦時中に殺害したオランダ人の数は、ロシアと比べれば非常に少なかった。
むろん戦争が終わる最後の六ヵ月間、オランダは苦しめられたが、これは食糧が底をつきかけていたからだ。
オランダ人はほとんど殺されなかったにもかかわらず、ドイツ人への憎しみを解消するまで、ロシア人よりはるかに長い時間がかかった。
その最大の理由は、ロシア人はドイツと戦ったが、オランダ人はそうではなかったからだ。
ドイツ人はロシア人を殺し、ロシア人もドイツ人を大勢殺した。
そして戦後、お互いに「もう戦いはやめよう」となったわけだ。
フランス人は遅かったが、それでも一応ドイツに抵抗した。
ベルギー人の抵抗の仕方は巧みで、ドイツが作った秩序を崩壊させている。
デンマークは国民レベルで抵抗していて、非常に効果的だった。
ノルウェーにはレジスタンスの戦士がおり、占領に来たドイツ人をしっかり攻撃した。
ところが、オランダ人は臆病者で、抵抗しなかったのである。
オランダ社会はドイツに服従し、対独協力が大々的に行われた。
たとえば、ドイツはオランダ警察を頼って、オランダ国内のユダヤ人を逮捕している。
若いオランダ人たちは、自分の父親たちが臆病者であったからこそ、戦後に反ドイツ的な感情を持ち続けたのである。
私の子供時代の体験もこれを裏付ける。
両親は戦後、一九六〇年代に車で私をオランダ沿岸部へ旅行に連れていってくれた。
そこかしこにあった民宿の入口には、もれなく「ドイツ人お断り」という看板が掲げられていた。
同じ時期、私はユーゴスラビアのダルマチア地方の沿岸部にも連れていってもらったことがある。
当時、私たち家族はイタリアに住んでいたので、車で遠出することができた。
この地域は第二次世界大戦中、ユーゴスラビア王国とドイツとの激戦地で、戦死者もたくさん出たが、ユーゴの人々はドイツからの旅行者を大歓迎していた。
その理由は、ドイツ人がユーゴ人を殺し、ユーゴ側もドイツ人を大勢殺したからだ。
彼らは決して臆病者ではなく、立ち上がり、戦ったのである。
誰も自分たちの父を恥じることなく、誇りを持てた。
だからこそ戦後、ドイツ人に対して友好的になれたのである。
韓国人のトラウマの構造。
これらを踏まえて、朝鮮問題を考えてみよう。
韓国や北朝鮮で製作されたプロパガンダ映画は数多い。
勇敢な朝鮮兵、韓国兵が無法で残虐な日本軍を撃退する、というワンパターンのストーリーだ。
だが、一九四五年までの朝鮮半島で、実は抵抗運動と呼べるようなものはほとんど発生していない。
朝鮮人たちは概して服従的だったのだ。
むしろ多くの人々は、服従以上の態度で自発的に日本に協力し、日本軍に積極的に志願したのである。
その数は八十万人にのぼるが、そのなかには朴槿惠前大統領の父親・朴正煕元大統領も含まれていた。
彼は日本名である「高木」を名乗り、自分の血でしたためた血判状をもって、当時の満州国の軍官学校、陸軍士官学校に志願し、入学した。
極めて優秀な成績だったという。
私は、彼が暗殺される数か月前に会ったことがある。
一九七九年、私と夕食をともにした席で、彼は若い頃の夢について語った。
それは日本軍の勲章をもらい、大佐として退役することだった(実際は中尉で退役)。
二〇一九年の韓国に話を移そう。
韓国人はいまだに、自分たちの父親や祖父たちが臆病者で卑屈だったという心理的なトラウマに悩まされている。
これはオランダ人のケースと同じだ。
ロシア人やユーゴスラビア人、そして静かだが強力に抵抗していたベルギー人とも事情は異なる。
ベルギー人の抵抗について付言しておけば、彼らはたしかにドイツと戦闘こそほとんどしていないが、ドイツへの妨害、サボタージュは完璧だった。
ドイツ人がオランダとベルギーを占領したあと、地元の警察に「ユダヤ人を逮捕して収容所行きの列車に乗せろ」と命じた。
ベルギーは第一次世界大戦の開戦直後、ドイツの侵攻で占領された。
次の第二次世界大戦でも同じだった。
そのおかげで、ベルギーのおばあさんたちは見抜かれないような偽文書作りの能力を身につけた。
彼らは「ドイツ人の騙し方」を学んだのだ。
ベルギーはとても小さな国で、ユーゴスラビアの山岳地帯のように、隠れて抵抗運動を続けられる地理的な環境もない。
それでも、彼らは非常に効果的に抵抗した。
「ドイツの言うことを聞かない」ことだけを狡猾に行ったのである。
ベルギーにはドイツから逃れてきたユダヤ人だけでなく、非ユダヤ系だがナチスに反対するドイツ人も多く在住していた。
反ナチスのドイツ人たちは、ヒトラー政権の下で、オランダとベルギーに逃げ、ベルギーは彼らを守った。
これは、ベルギーによる静かな抵抗の多くの実例の一つにすぎない。
ベルギー政府はドイツに「ノー」とは言わなかったが、決してドイツの望むことはしなかった。
しかし、オランダはドイツに協力して逃亡者たちを逮捕し、引き渡した。
彼らは強制収容所に送られ、オランダに逃れた人々はことごとく死んだ。
オランダは、まるでドイツの使用人のように振る舞っていた。
だからこそ戦後、ドイツ人を長期にわたって憎み続けることになった。
一九四五年以降のオランダ政府の国民に対するメッセージは、二つの嘘で塗り固められていた。
第一に、戦時中、ほとんどドイツへの抵抗運動がなかったにもかかわらず、話を膨らませて大々的に抵抗していたかのように装ったこと。
そして第二に、対独協力は個別のケースで存在したが、政府ぐるみで協力していた事実はなかったとしたことだ。
これが完全な嘘であることは、アンネ・フランクが逮捕された事実を考えればよく分かる。
彼女の家族は逃げて居場所を隠したにもかかわらず、誰かがオランダ当局側に居場所を教えたのだ。
これはオランダ人社会に、大規模なドイツへの協力組織があったことを示している。
そして、これは大きな政治的副産物を生んだ。
オランダは、ドイツが北大西洋条約機構(NATO)に加入するのを拒否したのである。
NATOはドイツを必要としていた。
なぜなら当時の西ドイツは、社会主義の東ドイツと国境を接する、西側の最前線に位置していたからだ。
ところがオランダは、独自の反ドイツ感情に突き動かされて、ドイツのNATO加盟を阻止しようと運動したのである。
韓国人たちと同じように、オランダ人の反ドイツ感情は長年にわたって維持されたのだ。
この稿続く。