「文化人」を気取る者ほど程度は低い――戦後賠償、欧州のルサンチマン、中国人観光客論
2020年1月17日発信。
高山正之の著作から、戦後日本に課された賠償、フィリピン・オランダなどの要求、欧州諸国の日本への恨み、そして朝日新聞的「文化人」の自虐的な日本批判を論じる。日本だけを上から見て貶し、中国や欧州の実態を見ようとしない文化人の姿勢を批判する。
2020-01-17
フィリピンのキリノも右に倣って日本にケタ違いの80億ドルを要求した。日本が拒むと、モンテンルパ刑務所につないでいた日本人BC級戦犯14人を吊るして脅しをかけた。
以下は下記の高山正之の著作からである。
この章も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を証明している。
「文化人」を気取るヤツほど程度は低い
首都高速が溜池から一の橋の方に分岐していった辺りに我が家があった。
そこから通称柳段々を下って今のアークヒルズの方に降りていけた。
段々の下には小さな家並みが広がっていた。
小さくてもみな奥に庭があって表には花の鉢があった。
空き地に紙芝居屋がきた。
割り箸に絡めた水飴が5円だった。
夏場のアイスキャンデーも同じ5円だった。
柳段々の反対側にも階段があって上りきると霊南坂教会があった。
クリスマスが近づくと俄か信者になって日曜日のミサにいった。
献金を強要され、二宮尊徳の1円札を出した。
イブにはお目当てのプレゼントが貰えたが、随分しけた印象が残っている。
キリスト教会が日本に根付かないわけを子供心にもはっきり察知したように思った。
因みに後に山口百恵がここで結婚式を挙げている。
彼女も多分「これっきり」のはずだ。
教会の隣は米大使館公邸の白壁が続いた。
当時はマッカーサーが棲んでいた。
子供たちの戦後はそんな塩梅で1日5円か10円もあればまあまあだったが、大人たちはそうはいかなかった。
日本は先の戦争でアジアを植民地化していた欧米を叩き出した。
おかけで戦後、植民地は独立し、宗主国たちは小さな欧州の故郷に追い返されていった。
それが悔しくてオランダは独立したインドネシアのスカルノにオランダが作った運河や石油基地の建設費用60億ドルを返せと迫った。
スカルノは困って「侵略国日本」にたかってきた。
日本は賠償金にデヴィ夫人もつけた。
フィリピンのキリノも右に倣って日本にケタ違いの80億ドルを要求した。
日本が拒むと、モンテンルパ刑務所につないでいた日本人BC級戦犯14人を吊るして脅しをかけた。
恥知らずは旧植民地だけでなくイタリアもスイスもオランダも賠償よこせの行列に並んだ。
そんなわけで大人たちは焼け跡に佇んでいる暇もなく戦前の倍以上も働いて賠償金を支払い続けた。
昭和34年の今上天皇と美智子様の結婚式、朝見の儀は宮殿が焼けたままなので宮内庁2階の仮の間で行われた。
賠償の支払いは1970年代も続いたが、大きな財政負担を強いてきた併合朝鮮との縁が切れたこともあって、そのころには少しはゆとりも生まれてきた。
海外旅行も解禁になった。
ただ向こうでは日本への風当たりが強かった。
当時のECは日本人を「兎小屋に住む働き中毒」と報告書で侮辱した。
仏首相エディット・クレソンは「日本人は黄色い蟻。何度潰しても出てくる」と日本大使の面前で言い放った。
日本のせいで仏領インドシナも蘭領東インド(インドネシア)も英領ビルマも無くなった。
ただの貧乏国になった欧州諸国は助け合うためにECを創った。
日本への恨み言の一つも言いたくなる。
今はEUに発展したけれどその心根は変わらない。
欧州の新聞は自分たちを貧乏に追い込んだ日本人の団体客を見れば侮蔑の一言も書きたくなる。
日本人は当惑しながらも「お互い助け合うEUの精神が素敵ですね」とかお世辞のつもりで余計を言ってまた彼らを苛立たせた。
先日の朝日新聞に朝日的文化人が「日本人は昔から礼儀正しくはなかった」とそのころを書いていた。
日本人も昔は酷かった。
「駅弁の食いかすやごみを座席の下に突っ込んでいた」とか「日本人観光客が世界に迷惑をかけていた」とか。
だから今のあまりにひどい中国人のマナーを嗤うな、「どの民族だって時間が経てば振る舞いもよくなる」と。
毎度聞かされる自虐の台詞だ。
そして日本だけは上から目線でけなす。
他は中国朝鮮も含めて下から仰ぎ見て温かく書く。
それが文化人たる者の基本姿勢と思い込んでいる。
彼らも日本と同じに上から見るがいい。
そうすれば中国人は何年待っても変わらないことが判るし、欧州人の発言の後ろにあるルサンチマンも見えてくる。
ただ、そうやって物事を見ると「弱者救済」とか「原発反対」の馬鹿らしさも見えてきてしまう。
だから文化人は考えない。
鳥越俊太郎さんみたいに反戦平和とか一つ覚えの文句を痴呆老人のようにただ繰り返していても務まるのだ。
(2016年8月4日号)