ウソから生まれた人間不信の社会――信頼関係が成り立たない中国で中華思想はいかに生まれたか
2020年2月16日発信。
黄文雄氏の著作を紹介しながら、「詐欺師だけが本物」とされる中国社会の構造、ウソと人間不信が国風・国魂となった歴史的背景を論じる。
骨肉の争い、ニセモノの氾濫、汚職、政府不信、迷惘症、三無主義、そして「友好」という言葉を中国側が一方的に解釈する危険性を指摘し、日本人と国際社会に中国理解の必要を訴える。
2020-02-16
当然、信頼関係は成り立たないので、一匹狼のみが生き残る条件になり、さらに自己中が加わって中華思想が生まれたのだろう。
以下は世界有数の中国通の学者である黄文雄さんの著作からである。
日本国民のみならず世界中の人が必読の書である。
本稿は前文のみならず中間部分も大幅に省略していますが、言うまでもなく、それらも全て必読の箇所です。
日本国民はどうぞ最寄りの書店に購読に向かって下さい。
国際社会で中国や韓国の反日プロパガンダを真に受けて来た人たちは本稿で、真実を認識して下さい。
前文省略。
○ウソから生まれた人間不信の社会
「詐欺師だけが本物」の社会だから、人々はごく自然に「人間不信」になってしまう。
当然、信頼関係は成り立たないので、一匹狼のみが生き残る条件になり、さらに自己中が加わって中華思想が生まれたのだろう。
また、そういう社会の仕組みから、ウソが生きるための必要不可欠の条件となった。
そんなメンタリティが国風となり、国魂にまでなったのである。
こういう社会のエートスから言行に現れるのは、ウソにまみれたビヘイビアしかない。
中略。
中国史を読むかぎり、骨肉の争いは決して希有や限定的な歴史ではなく、伝統の国風である。
ことに上にいけばいくほど、骨肉の争いがより激しくなり、数万人もの人間が巻き添えになることもあるのだ。
九族まで誅殺されることも少なくない。
それが歴史の掟であり、定めでもある。
ニセ書類、ニセ札、ニセ学歴と、ニセモノなら何でもある中国では、ニセ銀行や周恩来のニセの公文まで登場した。
ニセモノが氾濫する社会だけでなく、「無官不貧(汚職・不正をしない役人はいない)」といわれる国である。
国富を私財に換える役人も跡を絶たない。
御用学者の推定によれば、その総額はGDP(国内総生産)の10数%だが、実際はGDPの4分の1から2分の1にものぼるといわれている。
これでは政府不信、人間不信になるのも無理はない。
誰も信じないどころか、どこまで信じていいのか、何をすればいいのかさえ迷うことを「迷惘症」と呼ぶ。
これにかかっている中国人が多いので、中国は「迷惘症候群」の国といってもよいだろう。
もちろん、それは中国人独特の中国病であって、マルクス主義者たちがいう「人間疎外」やら実存主義たちが好んで語る「自己喪失」とも違い、仏教がいう「諦観」から生まれた中国人独特の「没法子(メイファーツ)(どうしようもない)」から生まれた定めでもあろう。
国家も社会も、人間に対する不信から何をやっても情熱がまったく湧かない。
こうして無関心、無責任、無気力の「三無主義」に陥るというわけだ。
巨大な権力に対しては、どうにもならないし、「改革開放」を口にしても、長い歴史伝説には、天命を受けた天子でも、偉大にして英明な赤い太陽でも、いくら「破四旧」(旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣を打破する)を口にしても、この国は神様の神通力でさえ、どうにもならない。
こういう自己喪失の国で生きていかなければならないということになると、人間は精神的におかしくなってしまう。
もはや「迷惘症」どころではない。
中略。
言辞婉曲、面従腹背、疑心暗鬼、狡猾、臆病、不誠実にして無責任、好奇心の欠如、天命に甘んじるーという中国人の性格を研究者は指摘する。
これらの性格は、長い長い歴史風土から生まれたものであろう。
なぜ中国人が日本に対してだけでなく、いかなる国に対してもあれほど「友好」ばかりを強調するのか。
それは人間不信の社会から生まれたパラドックスなのかもしれない。
そして、友好人士や友好商社としつこくつき合ってきた中国にとって、この「友好」についての解釈権はあくまでも中国側にある。
「非友好」と思い込んだら、昨日の友も今日の敵となるというわけだ。
毛沢東の友人には、お人好しの日本人かエドガー・スノーのような変わり者の西洋人しかいなかった。
自分の周りの人物に、いつ寝首をかかれるかわからなかったからだろう。
だから、北京・中南海の秘室で『三国志演義』を何度も読み、この次はどう勝つか権謀術数の手を磨いていたにちがいない。