日本人と儒教は相容れない――「至誠」が戦後日本に歴史のウソを受け入れさせた
2020年2月17日発信。
黄文雄氏の著作を紹介しながら、儒教国家がウソとホラを宿命的に抱えること、秦の法治、前漢の黄老思想、武帝以後の儒家独尊、王莽による儒教王国の失敗、そして「陽儒陰法」「外儒内法」という羊頭狗肉の統治法を論じる。
日本は神代以来の「純と誠」を基盤に仏教を受け入れた一方、儒教は根付かず、そのお人好しさと至誠が、南京大虐殺や慰安婦強制連行などの「歴史のウソ」を受け入れる土壌にもなったと指摘する。
2020-02-17
一方、そのお人好しさが中国や韓国のウソを受け入れるベースにもなる。
南京大虐殺、慰安婦の強制連行など、戦後日本は「歴史のウソ」を受け入れてしまった。
以下は世界有数の中国通の学者である黄文雄さんの著作からである。
日本国民のみならず世界中の人が必読の書である。
本稿は前文のみならず中間部分も大幅に省略していますが、言うまでもなく、それらも全て必読の箇所です。
日本国民はどうぞ最寄りの書店に購読に向かって下さい。
国際社会で中国や韓国の反日プロパガンダを真に受けて来た人たちは本稿で、真実を認識して下さい。
◎日本人と儒教は相容れない
儒教国家は必ず、ウソつき、ホラ吹きの宿命をもつことは、すでに教祖の孔子の時代から歴史が証明している。
たとえば、最初の統一王朝である秦は「徳治」よりもむしろ「法(刑と罰)治」を目指し、儒教や儒者を嫌って「焚書坑儒」をしたことはよく知られている。
法家の考えとしては、「文士は筆を以て、侠士は剣を以て天下を乱している」から、「徳」よりもむしろ「法」で取り締まらねばならないと唱えていた。
秦の法による統治は、ローマ帝国のそれとも似ている。
そして次の前漢の時代、「文景の治」といわれる文帝、景帝の天下安定の時代は、むしろ「黄老の術」ともいわれる老荘思想に基づく自由放任主義(レッセフェール)によって天下を治めていた。
道家、老荘思想も「大道廃れて仁義あり」と指摘して社会の仕組みを分析し、儒家の「仁義道徳」に反対して、仁義をさっさと捨てろと「絶仁棄義」を説いたのである。
中華帝国で儒家思想に基づく「徳」治が始まったのは、前漢の武帝の世になって「儒家独尊」を決めてからである。
武帝の世は、毎年のように対外戦争を起こしたため人口が半減したうえ、父祖の文帝、景帝以来たくわえてきた国家財産をすでに使い果たしてしまった。
財政はまさに破綻に瀕していたので、国政改革をしなければならなかった。
武帝は儒学者・董仲舒の「賢良対策」の進言を受け入れた。
賢良対策とは、つまり、有能、有徳、この徳とはおもに親孝行を指す、の人物を「選挙」(挙用)して任官させる政策である。
しかし、実際にこの対策を採用してみると、勉学する余裕のある地主や豪族の子弟ばかりが中央政界に進出する状態を招いた。
農民が搾取されて土地兼併が進み、大地主や豪族が新興勢力となって台頭するようになったのである。
武帝、昭帝のあと、宣帝が即位した。
儒教のこの道徳政治の欠点をいちはやく見抜いていた宣帝は、儒教に傾倒していた太子に、漢の国策は法儒並重であるべきと注意を喚起した。
儒者は本の読みすぎで、現実と理想の見分けがつかない。
古にばかりしがみついて、いまを批判する間抜け者ばかりだから、こんな連中をまともに相手にしてはならないと警告したのである。
そして、「わが家を亡ぼすものは太子であろう」と予言もしていた。
宣帝の「儒教亡国論」は見事に的中した。
太子の元帝の代になると、儒者が重用され、やがて外戚の王莽に天下を奪われてしまった。
王莽は儒教の古典を根拠に、天命によって帝位を譲られたとして、みずから皇帝となった。
そして、これがそれ以後の「易姓革命」における「禅譲」という美談仕立ての政権交代パフォーマンスの儀式となった。
その禅譲のパフォーマンスとは、伝説の聖王である尭が舜に、舜が禹に、世襲ではなく天下の有徳者に「帝位」を譲ったことに倣ったものである。
禅譲の儀式は、簒奪者が数度にわたって帝位の禅譲を断ってから、いやいやながら帝位につくというもので、演出も含めて、儀式はきわめて繁雑である。
漢以後、王朝交代が王莽のように平和的禅譲の形式をとったものもあれば、あるいは六朝や五代十国のように武力を盾にしたものもあるが、歴代王朝の交代はよくこの禅譲の形式によって行われてきた。
儀式というより「偽式」といったほうが正しいこの禅譲のパフォーマンスは、後漢末の魏晋六朝から延々と五代を経て宋に至るまで続いた。
中華世界の詐欺の集大成ともいえるだろう。
帝位についた王莽は中国史上はじめての「儒教王国」である新を樹立し、土地、奴隷私有の禁止、塩、鉄の専売など国家社会主義的政策を採用した。
この非現実的な理想政治は、逆に天下大乱をもたらし、王莽王朝は1代で倒壊した。
「徳治」は実際には不可能である。
建前としては徳を掲げながらも、実のところ法がなければ天下は治まらない。
王莽が理想とした儒教王国は天下大乱をもたらしたため、漢の武帝以後には「陽儒陰法」「外儒内法」が言われるようになり、儒家独尊はあくまでも建前、つまり口だけにしたのである。
本音がまったく違う「羊頭狗肉」の統治法である。
日本は神代から「純と誠」の戒めがあり、それも仏教を受け入れるベースとなった。
一方、儒教は日本にはなじまなかったのだ。
一方、そのお人好しさが中国や韓国のウソを受け入れるベースにもなる。
南京大虐殺、慰安婦の強制連行など、戦後日本は「歴史のウソ」を受け入れてしまった。
それも「至誠」というベースがあるからだ。
ただ日本は多元的価値を是認する社会だから、全日本人に強制することはできない。
あくまで一部の“信者”のみにとどまる。
日本人に、キリスト教やイスラム教のように、特定の一神教を教化することができないのは、この「特定の価値」を公平に容認することにある。
