「多様な視点」を語りながら、自虐史観という先入観で日本を裁く朝日新聞

2018年7月15日の「『多様な視点』を排除し、自虐史観という『先入観』で記事を書いている。」では、私は、朝日新聞的歴史観がいかに一方的であるかを批判していた。
ここで問題にしていたのは、朝日新聞が「多様な視点」を語りながら、実際には自虐史観という先入観に基づいて記事を書いているという倒錯である。
欧米列強は、アジアにおいて植民地支配を行い、フランスは仏印で重税と阿片専売によって搾取し、オランダはインドネシアで資源を収奪し、米国はフィリピンで激しい弾圧を行った。
こうした事実を見ずに、日本だけを「加害」として裁くのは、歴史の全体像を欠いた態度である。
朝日新聞的言論空間は、中国をめぐる歴史についても同様であった。
満州、ウイグル、近代中国の領土意識、済南事件、通州事件などの事実を十分に直視せず、日本だけを一方的な加害者として描いてきた。
それは「多様な視点」ではない。
それは、自虐史観という先入観である。
この章で特に重要なのは、朝日新聞的な文章の中で、村上春樹が一種の文化的装飾として利用されている点である。
中国人も「村上春樹を読む」から、彼らは文化的で親しむべき存在であるかのように語る。
しかし、それは現実の歴史、現実の政治、現実の暴力性を覆い隠すための情緒的な操作に過ぎない。
村上春樹は、ここでも朝日新聞的言論空間にとって、都合のよい象徴として使われていた。
私が批判してきたのは、まさにこの構造である。
村上春樹という名前は、文学の名を借りて、自虐史観、対中幻想、朝日新聞的似非モラリズムを柔らかく見せるために利用されてきた。
したがって、私の村上春樹批判は、作家個人への好悪ではなく、彼を利用する朝日新聞的言論空間そのものへの批判であった。

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