オーケストラの響きが私を救った――三十数年ぶりに戻ったクラシック音楽と、私が語らずにきた心情
2024年3月10日、浜離宮朝日ホールで村田夏帆が出演した能登半島地震支援チャリティーコンサートを機に、三十数年ぶりにクラシック音楽の演奏会へ戻った。
若き日に聴いた名演奏家たちの記憶、仕事と結婚をめぐる悔恨、伴侶を探し続ける思い、そして大阪フィルの響きに救われた心情を、初めて率直に綴る。
2026-07-22
2024年3月10日、浜離宮朝日ホールで開催された能登半島地震支援チャリティーコンサートに、村田夏帆が出演した。
私は、村田夏帆の演奏を聴くために、その演奏会に参加した。
私がクラシック音楽の演奏会に足を運んだのは、実に三十数年ぶりだった。
私が家を離れた理由は、読者諸兄はご存じのとおりである。
東京で肉体労働をし、糊口をしのいでいた時分でさえ、なけなしの金をはたいて、上野の東京文化会館で開催された中村紘子やアンドレ・ワッツの演奏会に参加した。
大阪を人生の舞台として選び、住み始めてからは、さまざまなピアニストが来日するたびに、大阪厚生年金会館やフェスティバルホールへ聴衆として足を運んだ。
大阪厚生年金会館で今も記憶に鮮明なのは、ミシェル・ベロフとアルフレート・ブレンデルである。
二人とも素晴らしかった。
フェスティバルホールでは、マウリツィオ・ポリーニ、ウラジーミル・アシュケナージを聴いた。
最後にクラシック音楽の演奏会に参加したのは、ミケランジェリが来日した時だった。
京都国際会館でのリサイタルである。
その演奏と、終演後の空に満月が輝いていた光景は、今も鮮明に覚えている。
それが、私がクラシック音楽の演奏会に参加した最後の時だった。
以来、三十数年もの時が流れた。
実は、この時期は、私が「最初の傷が一番深かった」という状態を脱し、真剣に妻を探していた時期でもあった。
だが、私は、その大切な期間を、北新地での飲食と、ピアノ伴奏で歌を歌う日々に費やしてしまった。
「水商売の女性は恋人にしない」などという、愚かな不文律を自分に課した上でのことだったから、なおさらである。
私の母校は、最近まで男子校だった。
恩師のお一人から、「京大を背負って立て」と厳命されていた私は、全員が大学受験勉強を開始する高校三年生の、まさにその日に、その道を喪失した。
以来、一年間、NHK-FMで朝から晩までクラシック音楽を聴いて過ごした。
『週刊FM』で番組を確認しながら暮らした。
普通の人たちが普通に持っている、女性との人脈が、私には皆無だったと言っても過言ではない。
おまけに私は、ある年には、一年間に二日しか休まず仕事をしていたような有様だった。
仕事が最盛期に差し掛かる直前、当時、数年間にわたって、経営者が「自分の嫁にしたい女優」ナンバーワンに選び続けていた女性の所属事務所を経営する老婦人に、仕事上のお世話をしたことがあった。
その縁で、老婦人から、「彼女が千秋楽にあなたに会いたいと言っています。来られますか」との、ありがたい連絡をいただいた。
もちろん、私は了承した。
だが当日、どうしても解決しなければならない仕事上の問題が生じた。
何しろ、不動産は人生最大の買い物である。
ちょっとした問題であっても、完全に解決しなければならない。
私は、仕事上の急用で行けない旨を連絡するしかなかった。
昨年から今年にかけて、私は、それまでの長い空白を取り戻すかのようなペースで、クラシック音楽の演奏会に参加している。
しばらくして、私は、とても辛くなった。
私の親友や知人たちは、私の「結婚の条件」を何度も聞いている。
知人の一人は、「社長、そんな女性いるかいな。いたら、自分の嫁を質に出して、わしが行くわ」などと言ったものである。
この頃、現在はシンガポールで、おそらくナンバーワンと言ってもよい経営者であり、先年には『タイム』誌の表紙にも登場した人物に、「いい人がいたら紹介してください」と頼んだことまであった。
その時の彼の答えは、実に秀逸だった。
「キサラさん。女性は自分で探すしかありません。なぜなら、あなたが探しているような素晴らしい女性がいたなら、私が行くでしょう」
以来、何とか自分で探そうとはしているのだが、実に至難の道なのである。
なぜなら、永遠に生き続けたいと願う無限の思索者であると自らを定義し、永遠の十九歳であると、自他ともに、私の親友たちも含めて認める私であっても、人生は一度きりの有限なものだからである。
常識的な結婚適齢期は、とうに過ぎている。
おまけに、私はピカソでもない。
1990年の総量規制までは、いわゆる百億長者への道にいたのだが。
ところが、クラシック音楽の世界には、私が探していた女性が、極言すれば、無数にいた。
心が美しくなければ、一流の演奏家になどなれるわけがない。
当然、オーケストラの団員にもなれるわけがない。
世の中は男と女しかいないということを、大病に罹患し、八か月を過ごした病室で、私は痛切に思った。
「いっぱい、彼女を作っておくべきだった」
とにかく、クラシック音楽の世界には、素晴らしい女性がたくさんいる。
彼女たちも、いずれ結婚する。
だが、その相手は私ではない。
私には係累すらない。
彼女たちが素晴らしければ素晴らしいほど、私の思いは痛切だった。
そんな時である。
オーケストラの響きが、私を救った。
その日は、偶々、大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会だった。
尾高忠明が、父・尾高尚忠の交響曲を指揮した日である。
私は、滂沱の涙を流した。
その日、私を苦しめていた辛い思いも消えた。
無論、奇跡が起きてくれれば、との思いは常にあるが。
以上は、ずっと書かなければならないと思いながら、書くことができずにいた私の心情である。
今、こうして、ようやく開陳することができた。