日本の抑止力の限界と「防衛的打撃力」――イージス・アショア撤回後に問われる日米同盟と代替政策

地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の配備計画撤回を受け、元駐米大使・加藤良三氏が、日本独自の抑止力の限界、日米同盟、北朝鮮・中国・ロシアの軍事的脅威、巡航ミサイルや潜水艦能力を含む代替政策、そして高度な「防衛的打撃力」の必要性を論じた産経新聞「正論」を紹介する。

2020年7月17日
2020年6月、日本政府は地上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の配備計画を停止し、事実上撤回した。
これによって問われることになったのは、一つの防衛装備を導入するか否かという問題だけではない。
日本の法制度と基本政策、防衛予算の制約、日米同盟の実効性、周辺諸国のミサイル・海空軍・サイバー・電子戦能力を総合的に考えたとき、日本がいかなる抑止力を構築すべきかという、国家安全保障の根本問題である。
元駐米大使の加藤良三氏は、産経新聞「正論」に掲載された論文「高度な『防衛的打撃力』の強化を」において、日本の抑止力は、日本独自の能力と日米安全保障体制の下で米国が提供する抑止力との総和によって成り立っていると指摘した。
その一方で、日本自身の抑止力には、国法と基本政策の建て付けから著しい限界があるとも論じている。
限られた防衛予算の中で重要なのは、装備を単純に増やすことではない。
敵対的な意図を持つ相手が最も嫌がり、攻撃を思いとどまるような能力を、費用対効果を考えながら整備することである。
以下は、元駐米大使・加藤良三氏の論文からである。
明らかな括弧の欠落を補い、中国の兵法「瞞天過海」の表記を正した上で、原文の論旨と表現に忠実に再掲載する。
【引用】
地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の配備計画が事実上撤回された。
日本はその安全保障・国防政策が「非攻撃的」であるどころか時に「パシフィスト的」でさえある点で世界に冠たる国である。
新型コロナ禍の今日までよく持ってきたとの感慨を持つ。
【戦後、広まった「瓶の蓋」論】
戦後アメリカには軍の首脳も含めて「瓶の蓋」論――日本はアラジンのランプに閉じ込められた「魔神」のごときものであり、一旦蓋を開けたら再び世界に災いを齎すという喩え――の発想が残り、それ故日本の経済成長は許しても軍事力増強は適度な所で抑えるべきだという世論が根強かった。
その裏には日本はもとより、極東・西太平洋は自分が抑えるという自信と自負がアメリカにあったわけで、その感覚は現在でも消え去ってはいないと思う。
このアメリカの感覚があるが故に日本も「ごついことは『アメリカ、よきに計らえ』『自分は思い切りいい子になって経済的利益を満喫する』」という「分業」のうま味を享受できた。
アメリカもそれを結局自分の利益だとして受忍する期間が長かった。
その後状況はかなり変わってきていると思われる。
思い返せば冷戦終了に至るまで、表に出る世界とは別に、アメリカの軍事力は終始一貫ソ連のそれ――ソ連側には強がりも焦りもあったろう――をずっと凌駕していたのではないか?
同様に筆者は現在のアメリカの軍事力は巷間喧伝される中国の軍事力をまだはるかに上回っているのではないかと直感的に考える。
ただし、そうであっても有事の際アメリカの「15戦全勝」「完全試合」となることはありえない。
此方側も確実に相当の被害を蒙る。
その際はアメリカとして守るべき国益の優先順位に従って守るべきもの、捨てるべきものの「選別」――「トリアージ」という言葉を耳にするが似たところがある――が行われるに違いない。
【日本が守るべき高い優先順位】
筆者はその時、日本がアメリカから守るべき対象として高い優先順位を得ていることが重要だと思い、対日武力攻撃が即対米攻撃だとアメリカに認識されるような日米同盟を構築し、維持すべきだと思って今日に至る。
日本の抑止力は総じて日本独自の抑止力と日米安保の下、アメリカが有する抑止力の和からなるものであるが、日本の国法、基本政策の建て付けから、日本自身の抑止力には著しい限界がある。
防衛予算が議会制民主主義の下で厳しい制約下に置かれ、大幅増加は期待できない中で日本は最大効果的活用を目指すしかない。
一般的に「抑止」についていえば、「抑止力」は基本的に「攻撃的」なものではない。
「害意」を持つ相手に対日攻撃を思いとどまらせるという「防衛的」な性格の概念である。
その枠内で日本として当然念頭に置くべきは、相手の①軍事「能力」②「意図」③「行動パターン」――ということになろう。
日本が自らにとっての抑止を客観的に考えるなら、抑止の対象として相対的に国民の理解が得やすい北朝鮮のミサイルの脅威が近年強調されがちであるが、中国の大量のミサイルのみならず拡大を続ける陸空海全般、サイバー、人工知能(AI)、電子戦能力――さらにロシアの軍事力もある――を考慮しない抑止論はありえない。
抑止力は相手の害意を助長させない、端的にいうなら相手が最も嫌がる「ツボ」をついた効率的なものであるべきだろう。
この点からしてイージス・アショアの費用対効果、例えば対中抑止力はどれ位のものか筆者には知る由がない。
中国の古い兵法書「三十六計」の冒頭に「瞞天過海」があるが、これは「敵に繰り返し同じ行動を見せ見慣れさせておいて油断を誘い、ある時一気に攻撃する」という意味らしい。
中国の南シナ海、東シナ海、尖閣諸島周辺での行動を思い起こさせるところがある。
【「代替政策」で抑止力向上を】
「日本がイージス・アショアを白紙撤回」だけでは日米同盟の弱化を企図する勢力から歓迎されるだけだろう。
しかし、そこに日本またはアメリカによる、もっと「費用対効果の高い」、例えば海上・陸上発射型の「巡航ミサイル」の配備や日本の潜水艦能力の抜本的向上への転換という「代替政策」――オルタナティブ――が伴うならば、むしろ総体としての抑止力はかなり向上すると思われる。
北朝鮮のミサイル――核のみならずノドンなど日本を射程内に収める多数の中距離ミサイルを含む――は一大懸念事項であるが、国にとっての「抑止」はさらに包括的であるべきだろう。
今後も続く「軍事的恫喝」「政治的恫喝」の双方に対処していく上で、日本が「攻撃的打撃力」は引き続き厳しく自制しつつ、高度の「防衛的打撃力」の強化に向けて進むことも躊躇すべき理由はないように思われる。
【再掲載にあたって】
この論文の核心は、「攻撃力を持つか、持たないか」という単純な二者択一にはない。
抑止力とは、実際に戦争を始めるための能力ではなく、相手に攻撃を断念させるための能力である。
したがって、迎撃だけを考えれば十分だとは限らない。
相手が攻撃すれば、自らにとって受け入れ難い結果が生じると予測させる能力も、抑止の一部となる。
加藤良三氏が「防衛的打撃力」と呼んだものは、そのような意味において理解されるべきである。
また、日本の安全を米国の圧倒的な軍事力だけに依存することにも限界がある。
米国が強大な軍事力を維持していたとしても、有事には自国の国益に基づく優先順位が生じる。
日本に対する攻撃が、そのまま米国に対する攻撃として認識される同盟関係を構築し、維持しなければならないという指摘は、日米同盟の本質を突いている。
同時に、日本独自の抑止力については、法制度、基本政策、防衛予算という厳しい制約がある。
だからこそ、限られた資源を何に配分すれば、相手の行動計算を最も効果的に変えられるのかを考えなければならない。
イージス・アショアの撤回だけで終われば、抑止力には空白が生じる。
しかし、より費用対効果の高い装備や潜水艦能力の強化など、明確な代替政策を伴うのであれば、全体としての抑止力を高めることは可能である。
日本に必要なのは、無制限な軍備拡張でも、現実から目を背けた非武装論でもない。
攻撃的な力を厳しく抑制しながら、国民と国土を守るための高度な「防衛的打撃力」を、冷静かつ具体的に構築していくことである。

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