日本人の民度と公徳心の根源――加地伸行が説く農耕民族の歴史と「他者に迷惑をかけない」文化
加地伸行は月刊誌『Hanada』の論文で、法的な外出禁止を伴わない新型コロナ対策に日本人が自発的に従い、欧米以上の結果を示した背景を論じた。
日本人の民度と公徳心は阪神大震災以後に突然生まれたものではなく、農耕民族として共同作業を重ね、家族だけでなく他者にも迷惑をかけない文化を育ててきた長い歴史に根差していると説く。
2020-07-21
本稿は、2020年7月21日に発信した章である。
当時発売された月刊誌『Hanada』の巻頭を飾った、加地伸行の論文を紹介した。
新型コロナウイルス感染症への対応をめぐり、欧米諸国が法的、強制的な外出禁止措置を取ったのに対し、日本では緊急事態宣言の下、国民の自制心と良識に協力を求める形が中心となった。
それにもかかわらず、多くの日本人が自発的に行動を抑制し、感染拡大防止に協力したことから、日本人の「民度」や「公徳心」が改めて注目された。
加地伸行は、日本人の自制心や公徳心を、1970年代、1980年代、あるいは1995年の阪神大震災以後に形成された比較的新しい社会的美徳として捉える見方に異論を示した。
日本人の公徳心は、より根源的な民族の伝統、歴史、文化から考えなければならないと論じたのである。
加地伸行によれば、狩猟民族としての長い歴史を持つ欧米では、個人主義と個人の能力を重視する文化が発展した。
一方、日本人は農耕民族として、農業という共同作業を通じ、一族や家族の団結を第一とする生き方を長く続けてきた。
そこから生まれた助け合いと団結の感覚が、日本では一族の内部だけにとどまらず、他者にも迷惑をかけないという意識へ広がった。
加地伸行は、この広がりこそが、現代の言葉でいう日本人の公徳心であり、遥か以前から継承されてきた民族的、文化的特質であると説いた。
以下に、2020年7月21日に発信した日本語原文を、一字一句変更せずに掲載する。
2020-07-21
古人曰く、上智は教へずして成り、下愚(かぐ)は教ふと雖(いえど)も益なく、中庸の人は教へずんば知らず、と。
以下は、本日発売された月刊誌Hanadaの巻頭を飾る加地伸行大先輩の論文からである。
本日、発売された月刊誌、HanadaとWiLLは日本国民のみならず世界中の人たちが必読である。
コロナ、コロナの毎日である。
なにしろ罹ると一命危うしという脅しには勝てぬ。
老生、久々の蟄伏(ちっぷく)生活じゃ。
そうそう蟄居生活とは言わぬぞ。
蟄居とは、罰の意味じゃからのう。
老生、なにも悪いことはしておらん。
ただ異論を述べおる日々。
さて、そのコロナを巡っての日本人論が話題となっている。
と言うのは、コロナ対策として、欧米では外出禁止を法的強制的にしているのに対して、日本では緊急事態宣言なるものを発し、国民諸氏の良識に俟(ま)つという要望だけであったにもかかわらず、法的規制と同等いやそれ以上の結果を出しているからである。
それが欧米人には不思議でならない、なぜなのかとその理由を求めている。
しかも、結果的にもコロナに由る日本人死者の数は非常に少ない。 早速、麻生副首相は言った。
日本人の民度の高さを。
お美事。
民度が高いのは事実。
明治維新以降の日本の歩みを見るがいい。
麻生氏のその発言は正しい。
しかし、しかし、問題はその次だ。
では、そのいわゆる民度とは何か、である。
この〈民度〉論について、令和二年七月号諸論説誌に対する論壇時評(産経新聞同年六月二十五日付。岡部伸・論説委員担当)が、民度に関わる諸論を展開している。
本来ならば、同欄の引用文の原典に当るべきであるが、なにしろ蟄伏生活の日々、右岡部欄の引用文の借用(孫引き)でお許しあれ。
例えば、山崎正和・評論家はこう述べているとのこと。
すなわち、日本人の「自制心は特記に値する」。
それは「ラフカディオ・ハーンの見聞記にも(すでに)記録されているが……(その)公徳心はやや後にあらためて養われたもの」とし、一九七〇年代から八〇年代、「わけても(阪神大震災発生の)一九九五年一月であり、その美徳はつい昨日まで栄え続けたのであった」と。
しかし、なぜそうなのかという理由については述べていない。
それでは、単なる感想に過ぎず、〈論〉となっていない。
阪神大震災発生以来と言うのならば、なぜそうなのかということをしっかりと論すべきであろう。
日本人の公徳心の問題は、もっと根原的に考えるべきである。
老生はこう考える。
明治維新のころ、当時の指導者らは、壮大な勘違いをしたのである。すなわち欧米の工業製品に圧倒され、それらを生み出した欧米近代を崇め、日本をそのようにしたいと思い、その物真似に専念し、今日に至っている。
日本現代の知識層は今も同じである。
しかし欧米人の個人主義・能力主義なるものは、遠くは狩猟民族の個人能力第一の展開とその結果とにすぎない。
これに対し、われわれ日本人は農耕民族の歴史が長く、農業という共同作業上、一族(家族)の団結第一で生きてきたのである。
その在りかたはDNA化されている。
早い話が、日本のテレビを注意して見るがいい。
朝から晩まで、しょっちゅう天気予報を流している。
日本人が求めるからだ。
なぜか。
骨の髄まで農耕民族の感覚だからである。
その一族主義は、一族の助け合い団結心を生む。
一族主義の典型は中国人。
同族の団結は堅い。
すると他人はどうでもいいとなる。
日本人は違う。
一族に迷惑をかけないという点は中国人と共通するが、一族以外の人、つまりは他者にも迷惑をかけないという広がり感覚がある。
中国の風土は厳しく、一族命となるが、日本の風土は中国よりもずっと優しいので、他族へも優しさが及ぶ。
それを今風に言えば、公徳心ということになろうか。
その感覚や行動は、遥か遠くから始まって続いて来ており、阪神大震災で突如出現したものではない。
民族の特質を論ずるならば、その民族の伝統や歴史や文化をこそ顧(おも)うべきである。
古人曰く、上智は教へずして成り、下愚(かぐ)は教ふと雖(いえど)も益なく、中庸の人は教へずんば知らず、と。