戦争報道は政治宣伝であってはならない――高山正之「戦争記者」が示す事実報道の原則
高山正之氏の論文「戦争記者」を引用し、イラン・イラク戦争における実体験から、政治色を排して事実を伝える戦争報道の原則と、沖縄戦報道における政治宣伝の問題を問う。
2020年8月6日
以下は、「戦争記者」と題して、本日発売の『週刊新潮』に掲載された高山正之氏の論文からである。
この論文もまた、彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであることを証明している。
【引用】
イ・イ戦争のさなか、テヘラン特派員に出た。
そのころのテヘランは、毎晩イラク機が飛んできて爆弾を降らせ、昼間はイスラム狂信者が無信仰な若者を見つけて鞭打つ。
夜も昼も狂気が支配していたが、各社特派員はそれを書けなかった。
なぜなら、イラン情報省は元在日の朝鮮人に新聞を検閲させ、好ましくない記事を見つけると、特派員を譴責するか追放した。
幸いというか、我が産経新聞は検閲の対象に入っていないのを知った。
で、気楽に好きを書けた。
ホメイニ師の世界では、連れ合い以外の異性の顔も体も見てはならなかった。
だから女医は、鏡越しで男の患者を診察させられた。
師は初潮が女の成人の証とした。
それで、10歳の花嫁の結婚式を記事にした。
12歳の妻を連れたイランの役人が、ロンドン警視庁から女児強姦で訴追された話も書いた。
師の教えには、「お尻は手ごろな丸い石で二度拭け」とある。
砂漠を旅する時のマナーだが、その話も何かの折に引用した。
そしたら即座に宗教裁判所に喚問され、審問の末に取材記者証を没収された。
よくて国外追放、悪ければ入牢で、沙汰が決まるまで蟄居を命じられた。
でも、我が社は検閲されていないはずなのにと訝ると、東京の大使館から報告がきて、余罪もあるという。
最終処分は、その精査後になるとの話だった。
事実報道にかこつけた悪意報道は、アラーが最も嫌うところらしかった。
これが1986年12月のことだった。
結果が出るまでは暇だから、ディジンにあるスキー場に行っていたら、情報省の役人から、テヘランに戻ってバスラ大攻勢の前線取材に行けと命じられた。
戦場にはもう5回も行った。
行けば十字砲火に曝されて最高に怖い。
行きたくないし、記者証もないと断ったら、お前に断る権利はないと怒鳴られた。
何で許されたか。
実は、過去5回のこちらの戦場リポートがよかったとか。
イランのケイハン紙とクウェートの新聞も転載していた。
今回は、劣勢イランがイラクの進出拠点ダリエ・チエマヒ要塞を奪還し、シヤトルアラブ川を押し渡って、イラク領バスラを落とす乾坤一擲の大作戦だという。
それで、「お前の処分を留保した。いいリポートを書け」ということだった。
年末に始まった作戦は、要塞攻略までは順調だったものの、渡河は失敗し、川岸で砲煙弾雨を浴びる、いつもと同じ怖い結末だった。
戦争記事は読まれる。
下手に政治色を付けず、リアルに描くことが大事だ。
このときも、イラン軍の戦果とイラク軍の反攻の凄まじさをリポートし、各国駐在武官の分析もつけた。
おかげで、ホメイニ師を虚仮にした大罪も許され、入牢は免れた。
その意味で、朝日新聞記者、岡田将平の沖縄戦回顧はいかがなものか。
沖縄戦は終戦の年の6月23日、摩文仁の陥落で終わり、あとは北部山間に敗残兵が残っていた。
岡田記者は、そんな日本兵が村民の「首を切り落とし」「追いかけ回して刺し殺した」と書く。
その筆致は、日本軍を沖縄の民の敵に仕立てた元朝日社会部デスク、榊原昭二の著作とそっくり同じだ。
沖縄の民間犠牲者は10万人に及ぶが、ひめゆり部隊のような日本軍絡みは数百人。
残り99%は、みな米軍の無差別殺戮で殺されている。
島尻では村民の過半が殺され、国吉では、子供を含む男性すべてが米軍に連行され、銃殺された。
女も無事ではなく、1万人余が米兵に強姦された。
宜野湾市では、「空気が黄色くなった」という証言が残るように、米軍はマスタードガスで村民を殺した。
後に嘉手納でその残りが見つかるが、米軍は欧州戦線にも同じ毒ガスを持ち込み、イタリア・バーリ港ではそれが漏洩して、米兵83人が死んでいる。
しかし岡田記者は事実に拘らず、日本軍は悪いという政治宣伝に終始する。
アラーも日本人も最も嫌うタイプの記者だ。
将来、きっと入牢する気がする。