河井寛次郎こそ「国宝」である――足立美術館との奇しき縁
2012年2月27日
河井寛次郎の作品と暮らしに触れるため、京都の河井寛次郎記念館を訪れた。
そこには、一つのことを極め続けることを人生とした男の生きざまが、今も息づいていた。
先日の月曜日、京都市立芸大のギャラリーに行きたかったのだが……ここの大学はなかなか元気があって、気鋭の新進たちが出てきている印象を持っていたから。
前日に確認してみたら、月曜日は休館日。
それで、河井寛次郎の作品と暮らしぶりを観に、河井寛次郎記念館に行こうと決めた途端に、20数年間、眠らせていた思いが吹き出してきた。
20数年前、社会に出てからの一生の親友の縁で、米子市で一番の大地主でもある、二代目の若社長と、とても親しくさせていただいたのだった。
米子といえば皆生温泉。
社員旅行も兼ねて繰り出したことがあったのだ。
その時の目的の一つが、足立美術館に行くこと。
ここで、私は初めて河井寛次郎の作品を観たのである。
魯山人と同じコーナーにあった。
魯山人も素晴らしいのだが、河井寛次郎は、本当にただ者ではないと思った。
が、陶磁器を集める趣味は私にはなかったから、それ以上、どこにも関心が向かうことはなかった。
京都の神社仏閣の全てを、当初は庭園に主たる関心を持って観続けていた時には、特に、小さな所で観覧というのもなぁ、と思って、敬遠してさえいたのである。
但し、確認せずに向かった結果は……一人だからバスでよいだろうと、妙法院の前、馬町で降りた。
寛次郎記念館の手前に、いかにも業歴が長そうな陶器店があった。
関心が向かうことがなかった陶磁器に対する感性をウォーミングアップしよう、目覚めさせようと思って、この店に黙って入り、しばし見させてもらった。
うむ。
有難う、と店を出て、良し、今日はとことん、河井寛次郎と正法眼蔵するぞ、と記念館の前に立ったのだったが。
案内板を見れば、月曜日は休館、とあるではないか。
これほど、ずっこけたことは滅多にない。
仕方なく、周囲の写真を住まい撮り、バスの中で初めて場所が分かった――数え切れないほど目の前を通っていたというのに――妙法院を撮影に行こうと向かったのだった。
この隣の武田病院が、フォーシーズンズホテルに建て替わることは、先日、タクシーの運転手から聞かされていた。
そちらの入口から妙法院に入って驚いたのは、庫裏の見事さ。
看板を見れば、国宝とあるではないか。
私が大好きな西本願寺の飛雲閣にも通じる、桃山時代の感覚が、見事にあった。
昨日……滅多にない幸せを感じた。
昨日は、午後にのんびりといった感じで、どちらかといえば、そんなに期待してというわけではなく、ぶらりと行ってみよう、だったのだが。
間口が狭くて奥行きの広い京都の町家……この凄さも実感した。
とにかく、何もかもが素晴らしく、まさに、全てが国宝級だと思った。
今日、2月26日は寒さがぶり返してきて、雪がちらついていた日だったが、河井寛次郎のお陰で、至上の時間を過ごすことができた。
さらに、奇しくも、とはこのことだろうか。
陶磁器には門外漢である人たちにとっては、これぞ驚きのような登り窯の入口。
その下に、河井寛次郎が足でろくろを回して作っていた作業場があり、その側の居間が訪問者用のサロンになっているのだが、そこにあった沢山の展覧会関係のチラシの中に、世界のある機関が選定している日本の庭園で、9年連続日本一の栄冠を獲得しているのは足立美術館であると書いてあるではないか。
2位に桂離宮を従えているのだから、実に大したものである。
と同時に、20数年前に訪れた時のことを思い出したのだった。
あの時、足立美術館内をメインとして、私を、バリバリに、実に見事に沢山の写真で――一瞬一瞬の私を捉えた、私の真髄に迫った写真を――撮ってくれた、鳥取有数の実業家にして私の親しい知人であったTさんが、私のために指定して撮らせた鳥取在住の気鋭の写真家さんのことなど、etc.
社員旅行を兼ねて行った、当時の社員たちのことなど。
一緒に訪問した弊社専務が読んでいた案内書には、「何時間いても飽きない」と書いてあったそうだ。
河井寛次郎の自宅であり、仕事場であったこの場所にあるものは、私が直面した、闇の中の魑魅魍魎が暗躍する世界とは、全く正反対にある世界である。
2割の悪党や、本質はプチ・ブルに過ぎない蜃気楼作家たちなどが作っている現代社会。
拝金野郎に過ぎないものが、大きな顔をしている社会だといってもよい。
昨日言ったことですら、知らない顔をして平気でいる社会。
そういったものとは全く正反対にある世界。
一つのことを極め続けること。
それを人生とした男の生きざまが、全ての空間にある世界。
そして、その見事さ。
ありとあらゆる細部を疎かにしないで、日々を、毎秒、毎分、毎日を――私たちの人生を生きた男が、今もここには生きていて、この社会に欠けているものを、まじまじと表現していたのである。
河井寛次郎こそ、その有様の全てにおいて、「国宝」として遇せられるべきだろう。
河井寛次郎の家――2012年2月26日撮影
この日、河井寛次郎の家で撮影した写真によって、二つの写真作品を制作していた。
失われたと思っていた当時の写真は、音楽とともに構成したYouTube作品の中に、今も残されている。
以下は、サティとビゼーの音楽とともに、河井寛次郎の家、その暮らし、仕事場、登り窯、そして今もそこに息づく魂を捉えた二つの写真作品である。
写真作品①
2012/2/26、河井寛次郎の家を、サティ、ビゼーの音楽と共に。
演奏時間:約12分
写真作品②
2012/2/26、河井寛次郎の家を、辻井伸行演奏のサティ《ジムノペディ》とビゼー《耳に残る君の歌声》と共に。
演奏時間:7分13秒
河井寛次郎が生き、創作した空間と、2012年2月26日に私が捉えた一瞬一瞬。
文章と二つの写真作品を通して、河井寛次郎という人間の生きざまと、その全てが国宝級であることを伝えたい。