為政者の謝罪と日本外交――宮沢・細川・村山各政権が築いた「謝罪外交」の系譜

宮沢喜一元首相、細川護熙元首相、村山富市元首相による歴史認識と謝罪外交をたどり、英国、中国、韓国などから補償要求が相次いだ経緯、さらにアジア諸国から日本の謝罪姿勢をたしなめる声が上がった事実を論じる。

2020年8月30日
以下は前章の続きである。
■ 為政者の謝罪
日本を侵略国として決めつけ、謝罪外交を始めたのは宮沢喜一元首相であった。
次いで平成5年(1993年)に登場した細川護熙元首相は、記者会見で「私自身は、大東亜戦争は間違った侵略戦争であったと認識している」と言ってのけた。
早速、その翌月に来日したメージャー英首相は、「それならば捕虜になった英国人に対して日本政府は補償をしてほしい」と申し入れてきた。
続いて中国、韓国を筆頭に、オランダ、米国の地方議会、オーストラリア……。
筆者は、これらの国々を批判しているのではない。
国際関係においては、どの国もこのくらいの鉄面皮で行うものだとの例証である。
日本は、これらの国々に対して要求されるままに見舞金を支払った。
もちろん、税金からである。
次に首相に就任した村山富市は、土井たか子衆議院議長を団長とする謝罪使節団をアジア諸国に派遣した。
しかし、マレーシアのマハティール首相やフィリピンのラモス大統領からは、「50年前の戦争をなぜわびるのか。アメリカ、英国、オランダ等は侵略をしても詫びたことはない」と、かえってたしなめられてしまった。
それにも懲りずに、村山首相は韓国大統領へ謝罪の書簡を送り、土下座外交を完成させた。
WGIPで洗脳された結果、そうすることが崇高な行為であると信じ込んでいたのだ。


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