木と土と光の家――2012年、京都・河井寛次郎邸を撮る|J.S.バッハ《平均律クラヴィーア曲集》第1巻 第14番~第19番/マウリツィオ・ポリーニ

2012年5月26日、27日。
京都・東山五条、河井寛次郎の家を撮った。
河井寛次郎邸には、単なる「古い日本家屋」という言葉では捉えきれないものがある。
木。
土。
石。
器。
家具。
階段。
窓。
庭。
そして、そのすべての上を移ろっていく光と影。
ここでは、暮らすことと、美しいものを生み出すこととが分かれていない。
家そのものが一つの作品でありながら、人が生きる場所としての温もりを失っていない。
河井寛次郎が遺したものは、陶器だけではない。
何を美しいと思い、どのように暮らし、どのように物を見つめるのか。
その人間の眼差しそのものが、この家の隅々に残っている。
この写真集に選んだ音楽は、J.S.バッハ《平均律クラヴィーア曲集》第1巻の第14番から第19番。
演奏はマウリツィオ・ポリーニ。
第1番から始まる、誰もが知る《平均律》ではない。
その有名な入口は、2012年7月、雨上がりの京都府立植物園で撮った薔薇と蓮の写真集のために残した。
河井寛次郎邸には、もっと奥から始まるバッハが似合うと思った。
第14番から音楽は始まる。
少し快活な響きの中に、この家へ足を踏み入れる喜びがある。
そして曲が進むにつれて、長調と短調、明るさと陰影、動きと静けさが交差していく。
それはまるで、河井寛次郎邸の中を歩いているようでもある。
庭から室内へ。
窓辺から階段へ。
木の肌から器へ。
光から影へ。
バッハの前奏曲とフーガでは、一つの声に別の声が重なり、さらに新しい声が現れる。
それぞれが独立していながら、最後には一つの揺るぎない世界をつくる。
河井寛次郎の家も、どこかそれに似ている。
木も、土も、器も、家具も、庭も、それぞれが自分の存在を主張している。
しかし、どれ一つとして他を邪魔しない。
すべてが一つになって、この家にしかない響きを生み出している。
音楽は響きである。
建築にも、また響きがある。
2012年5月26日、27日。
私は、この家の中にあった光と時間を写真に残した。
そして今、その写真にポリーニの弾くバッハを重ねる。
有名なバッハを写真に添えるためではない。
河井寛次郎の世界の奥へ入っていくために、バッハの奥から始める。
木と土と光。
そして、そこに流れていた時間。
写真が終わった後にも、その静かな響きだけが残ればいいと思う。

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