朝日新聞という病――古森義久が問う報道の一貫性と誤報の構造

2020-1-28

以下は、月刊誌WiLL今月号に、アンチとみればバカヤロー、ナチス、ヒトラーなどとヘイトする 朝日新聞という病、と題して掲載された、古森義久氏の論文からである。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読の渾身の論文である。
「安倍憎し」の一心で論拠なき駄文を書き連ねる朝日記者と「朝日文化人」
朝日の「逆」で間違いない 
私は長年、朝日新聞を読んできた。
昭和、平成、令和という各時代を通算すると、もう五十年ほどになる。 
その間、自分が新聞記者だという職業的な理由も大きかったが、朝日新聞を読むこと自体が好きだったともいえる。
読むことが好きだという意味で、朝日新聞の愛読者だったともいえよう。
だが、朝日新聞を愛したという意味ではない。 
ここ三十年ほどは朝日新聞を自分にとっての反面教師だとみて、その価値を実感してきた。
朝日の報道や論評の間違いを教訓にしたのだ。
自分は決してそんなミスは犯さないように、と自戒する教材だともいえる。
皮肉を込めていうならば、朝日新聞は日本にとっての貴重な宝だとも思う。反面教師としての価値がそれほど高いからである。 
日本が重大な難関に直面し、どの方向に進めばよいのかわからなくなった場合、朝日新聞が主張する方向とは反対を進めばよいのである。だから指針として貴重なのだ。
戦後日本の歴史が、その真実を証明してきた。 
第一に、一九五一年の日本の独立だ。 
この年九月のサンフランシスコでの対日講和条約の調印が連合軍占領を終わらせ、主権を回復させる歴史の転換点となった。
この条約について、日本国内では「単独講和」論と「全面講和」論とが対立した。 
「単独講和」とは、条約を結ぶ相手をアメリカなど自由民主主義陣営に属する国に限るという方法である。
実際にはその相手国は四十八力国にも達していたから、「単独」ではなく「多数講和」だった。 
「全面講和」とは、ソ連や中国という共産主義陣営の諸国もすべて含めての条約調印だった。
ソ連などはアメリカ主導の対日講和に色々と文句をつけて、そのままでは応じなかったのだ。 
朝日新聞は「全面講和」を強く推し、「単独講和」に猛反対した。
だが日本は「単独講和(実際には多数講和)」と、いう道を進み、独立と平和と繁栄を得た。
もし「全面講和」を待つ道を選べば、日本は独立を遅らせ、ソ連側に傾き、アメリカとの距離を置き、まったく異なる不幸な運命をたどっただろう。 
日本は、朝日新聞の主張と反対の選択肢を選ぶことで大成功したのだ。
「国家」「国民」アレルギー 
第二に、一九六〇年に構築された日米同盟だ。 
この年一月に、現行の日米安全保障条約が結ばれた。
それ以前にも両国問の安令保障の条約は存在したが、占領時代の偏りが多い不完全々内容だった。 
一九六〇年の安保条約は日本が米軍の駐留を受け入れる代わりに、日本が第三国から軍事的な攻撃や威嚇を受けたときは、アメリカが日本と共同で日本領土を防衛することを誓約していた。
米軍の強大な抑止力が日本の防衛に取り込まれるというわけだ。 
この条約を基盤に築かれた日米同盟は、東西冷戦中にはソ連の脅威への抑止となった。
日本にとって防衛の最大の支柱となった。
憲法九条により自国防衛に手かせ足かせを自ら課した日本にとって、外部からの軍事脅威をはね返す強力な安全保障となった。
戦後の日本の賢明な選択だったといえよう。
日本国民の日米同盟支持は、いまや圧倒的多数といっていい。
主要各政党も、共産党以外はすべて日米同盟とその基盤の日米安保条約を支持している。
もし、この日米同盟がなかった場合、ソ連は日本の共産化を軍事手段を使ってでも実現しようとしただろう。 
だが朝日新聞は一九六〇年当時、この日米安保条約に反対した。
日本の安全保障は憲法九条があれば大丈夫、という趣旨のキャンペーンをソ連との融和とともに大きく打ち上げた。
正面からの社説でこそ、猛反対・大反対をやや抑えていたが、その他の紙面をすべて動員して、「安保反対論」を煽りたてた。 
わが日本国が朝日新聞のこの日米安保反対の主張に従っていたら、ソ連の支配圏内に入っていただろう。
日本は朝日新聞の主張とは正反対の政策を選んだからこそ、今日の繁栄や安定があるのである。
国家の独立と防衛という最重要な課題に関して朝日新聞は日本にとって破滅をも意味する錯誤の選択を主張していたのである。
だからこそ朝日新聞の日本国にとって反面教師の価値があるということなのだ。 
その後も朝日新聞は、共産主義独裁、軍国主義のソ連を「平和勢力」のように描く偏向報道を続けた。
中国についても残酷な文化大革命を礼賛するまでの誤認報道を展開した。 
とにかく共産主義、社会主義を擁護する傾向を一貫させ、カンボジアの原始共産主義の自国民大虐殺のポル・ポト政権までも「優しさにあふれる」と礼賛し、虐殺を否定した論評は広く知られるに至った。 朝日新聞は、日本という「国家」、そして日本人という「国民」の概念が嫌いである。
だから、日本人は日本国民であるよりも「地球市民」なのだと強調する。
日本国自体を貶めた「慰安婦問題」での大誤報もすでに周知の通りである。
一貫性の欠如 
令和の新時代、朝日新聞はどうなったか。
二〇一九年五月一日の令和の始まり前後から現在までの朝日新聞の特徴を、具体例によって指摘することが本稿の主目的である。 
朝日新聞の最近の傾向で目立つのは、紙面の極端な劣悪化である。 
年来の朝日は偏向や誤認は多々あってもマスメディアたる新聞としての一定の品質があった。
それがいまやガタガタに崩れ、支離滅裂な紙面構成や信じられない大誤報を露呈してきたのである。 
ごく最近の紙面でのアメリカとイランの衝突の報道を、まず実例にあげよう。 
二〇二〇年一月はじめ、米軍がイランの革命防衛隊の対外特殊工作部門のソレイマニ司令官を殺害した。 
トランプ政権がその攻撃の決定を下した直接の理由は、同司令官率いる特殊工作部隊が長年、中東での米軍将兵やアメリカ関連施設の攻撃にかかわり、多数の死傷者を出してきたことにある。
加えて昨年末には、同部隊の支配下にある武装組織がイラク国内の米軍施設を攻撃し、米軍軍属を1人殺した。 
トランプ政権にとって、軍事行動を取るための境界線「レッドライン」はアメリカ国民の生命が奪われることである。
ソレイマニ司令官殺害もそのアメリカ国民の殺害が理由だったことは、朝日新聞のワシントン発の一月五日朝刊の記事で客観的に報じていた。
《国務省高官も「数百人もの米国民の生命を救うための措置だった」と述べ、殺害はイランへの宣戦布告ではないと強調した。トランプ政権がこうした姿勢を取る背景には、米国民の多くが戦争に反対し、トランプ氏自身も望んでいないという事情がある。米国では泥沼化したイラク、アフガニスタン戦争の影響で厭戦気分が根強くあり、トランプ氏も前回の大統領選から「バカげた終わりなき戦争を終わらせる時だ」と、米兵の帰還を公約に掲げてきた》
《再選を目指す11月の大統領選を控え、その(終戦への)姿勢は強まっている(中略)。だが昨年12月27日に米国民がイラク国内のロケット弾攻撃で殺害されると、トランプ政権は対応を一転させ、空爆を開始》 
以上を要約すれば、「トランプ大統領は本来、イラク、イランなどへの軍事介入は大統領選への影響も考えて望んではいないが、今回はイラン側によるアメリカ国民殺害にやむをえず反撃した」という解釈になる。 
ところが朝日新聞は、他の記事ではまったく異なる解釈を繰り返し伝えた。
一月四日夕刊のコラム「素粒子」の記述が典型だった。 
《またか、権力が選挙を前に対外危機を仕掛け、国民の目を疑惑からそらす。トランプ氏に限らず、よくある手口》
「トランプ大統領は再選のためにイラクを攻撃した」あるいは「弾劾騒動から国民の目をそらすためだ」という断定である。
もし再選のためならば、イラン攻撃がアメリカ国民の多くの支持を得ることが前提だろう。 
だが、前掲の朝日自身のアメリカ発の記事は、トランプ大統領自身は攻撃を望んでいないことを詳しく説明している。
同じ朝日新聞の一方の記事が今回のイラク攻撃は「選挙のため」と書き、他の記事が「選挙のためではない」という趣旨を書いているのである。
一貫性の欠落、つまりは支離滅裂だといえる。
ミスに表れた劣悪化 
朝日新聞は当然、七月十日付朝刊に「誤った記事おわびします」という見出しの訂正記事を同じ一面に載せていた。
その訂正は「政府が控訴して高裁で争う方針を固めたと報じたのは誤りでした」と記していた。 
その誤報の取材の説明なる記事が二面に掲載されていた。 
《朝日新聞は政治部、科学医療部、社会部、文化くらし報道部を中心に、政府がどう対応するのかの取材を始めました》《(そして政府は控訴するという見通しがあるとみて)首相の意向を知りうる政権幹部に取材した結果、政府が控訴する方針は変わらないと判断しました》 
以上の説明にはさらに驚いた。
朝日のこの大ミスは単に一人や二人の記者の勘違い、判断違いでもなく、事故的なミスでもなく、編集局全体をあげての集団的な取材をしたのに、なお根本から間違ってしまったと、開き直るように述べているからだ。 
この主張は外部からみれば、この大誤報は朝日新聞自体の間違い、つまり朝日新聞の構造的、体質的な特殊性の産物だという自認のように響く。
朝日新聞社全体を挙げての取材万法や判断そのものが誤りだったことを認めているに等しいからだ。 
さらに、そのうえのショックがあった。 
同じ七月十日朝刊の第三十四面に載っていた別の訂正記事だった。
この訂正は前日の七月九日朝刊に掲載された二つの記事のなかの記述のミスのおわびだった。 
その内容は以下だった。 
《「行政が適正かつ公立的に運営される」とあるのは「行政が適正かつ効率的に運営される」の誤りでした》《国際社会と緊密に「強調し」とあるのは「協調し」の誤りでした》 
以上は些細なミスといえるだろう。
だがあまりに初歩的、基礎的な誤りである。
いずれも小学生レベルのミスである。 
どの新聞社でもニュース記事は短くても、長くても、記者が書き、デスクが目を通す。
同じ記事を整理と呼ばれる編集者がさらに点検して見出しをつけ、できあがった見出しつきの記事はさらに校閲がチェックをする。
これはいかにインターネットやハイテクが導入されてもなお新聞作成の基礎だろう。 
そんな厳重なプロセスを経ても、「効率」が「公立」と誤記され、「協調」が「強調」になるミスが起きて、紙面に載るまで朝日新聞側の誰も気がつかない。
しかも一面トップの記事が大誤報に終わったという同じ日に、そんなミスが同時に起きる。 
いくら人間にはミスがあるといっても、私の長い新聞記者体験からは考えられない現象だと実感した。
朝日新聞はついにこんな水準にまで劣悪化してしまったのかと、唖然としたのだった。
世紀の大誤報 
朝日新聞の紙面の劣悪化について、さらにわかりやすい例がある。
私は朝日新聞にはその基本的な政治スタンスへの反対を別とすれば、伝統あるニュースメディアとしての一定レベルの敬意も抱いてきた。ところが、この記事はそんな認識をすべて覆してしまう大誤報、無責任報道だったのだ。 
朝日新聞のその一面トップ記事の内容は以下のようだった。
まずは大見出しである。
《ハンセン病家族訴訟控訴へ 政府、経済支援は検討》
本文の冒頭は以下だった。
《元ハンセン病患者の家族への賠償を国に命じた熊本地裁判決について、政府は控訴して高裁で争う方針を固めた》 
主題はハンセン病患者に対する国による隔離政策で差別を受けて、家族離散の被害などにあった元患者家族五百六十一人が国に損害賠償と謝‘罪を求めて起こした訴訟だった。
訴えを審理した熊本地裁は六月二十八日、国の責任を認め、家族たちに三億七千万円以上の賠償金を支払うことを求める判決を下した。 これを受け、国、つまり日本政府がどう対応するのか、控訴をして高等裁判所で争うのかどうかが注目されていた。 
朝日新聞はこの状況下で、国側はこの判決を不当だとして控訴することを決めたのだ、と報道したのだった。
しかもきわめて強い語調で、なんの疑問の余地もないような明快な断定だった。 
だが、一夜明けた七月十日付の朝日の朝刊一面には、前日とは正反対の内容の記事がこれまた大々的に掲載されたのだった。
見出しは以下だった。
《ハンセン病家族訴訟控訴せず 首相、人権侵害を考慮》 
本文の冒頭は以下だった。
《ハンセン病患者の家族への賠償を国に命じた熊本地裁判決について、政府は9日、控訴しない方針を決めた》 
以上、「控訴して高裁で争う方針を固めた」が一夜にして「控訴しない方針を決めた」に一転したのである。完全な誤報だった。
この稿続く。

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