あれから――街の灯りに、歩んできた人生がよみがえる。グラングリーン梅田の夕景とAI美空ひばり

2026年10月25日、グラングリーン梅田で開催されたベイクルーズフェアの最終日。
撮影した37枚に、AI美空ひばりの名曲「あれから」を重ねる。
以下は、本日発信した「渋谷区神南と梅田北ヤード」に続くものである。
弊社が、前章に記載した経緯で土地を取得した時、東隣には、サザビーとアフタヌーンティーがあった。
今の様に、全国展開する超有名ブランドになる前の事である。
とても良い店だった。
南側、真下にあたる渋谷駅に下る道の、一筋右の角に、渡辺さんという方の二階建ての家があった。
そこを購入したのだろう、ファッションブランドのビームスが、ここに店舗を構えた。
それから大ブレイクした事は周知の事実。
このビームスについては、普通の人にはできない経験をしたことがあった。
弊社が、創業の地から15分ほどの場所に在ったビルの中2階に本社を移転した時、近所にパチンコ屋があった。
信州大学から関西大学に転入して来た三男坊がいた。
毎日のように弊社に来て、私の話を聞きに来た。
北新地にある私の行きつけの店に連れて行ったりもしたほどに親しくなった。
彼は、「きさらさんの様な事を話す教授は一人としていない。本を出せばいいのに…」と何度も言っていた。
その彼から、ある時、「新阪急ビルの北側に在るワインバーで、お見合いの相手と会う。ついて来てほしい」と切望された。
「オイオイ」と思ったのだが、受け入れて、同席した。
他人の見合いの席…見合いから発展したデートの場だったか…に同席したのは、後にも先にも、これっ切り。
相手の女性はビームスの創業者の娘さんだった。
スラリとした美人だったが、彼はダメだという。
私が「何故?」と尋ねると、気が強いから云々と言った。
私は呆れて、「何を言ってるのよ。あなたが行かないのなら、私がいくよ。大した美人じゃないか、もったいない」と言った。
彼の返答が以下だった。
「私達の中に入るのは、難しい。私たちの世界は私達で成り立っているから…」
他者の見合いの席に立ち会ったのは、これ一度きり。
私は、高校生時分に、仙台と博多、相手の女性の地元と、2回も結婚式を行った身内の式に、兄弟として参列した。
私は仙台二高生の詰襟の制服を着て参加した。
相手の親族で、学校の教頭をしているという人物に、酒を勧められて断った際に、「仙台では良いかもしらんが、こっちでは通らんよ」等と絡まれた。
無論、その場で怒ったりはしなかったが、実は、私は心底の怒りを覚えた。
高校生に酒を勧め、断られたからといって絡む。そんな教育者が、どこにいるか。
私の恩師たちは、皆、本当に素晴らしい人たちばかりだったから、猶更だった。
以来、私は、誰の結婚式にも、葬式にも出ない、稀有な人となった。
ただ一度の例外がある。
私が、鬼神の如くに事業を開始して、新大阪地区で圧倒的な地位を占めた時、上場しようとしていた、近畿圏では有名な不動産仲介会社に勤務していた若者が、私の元で仕事がしたいと転職して来た。
彼は天理教の熱心な信者だった。
とても良いお嬢さんと、箕面の山中にある教会で結婚式を挙げる。
ついては、社長に仲人をお願いしたい、と切望された。
「独身の仲人ってあるのかい」と尋ねたら、「構いません」と言うので、仕方なく…書いていたら、まるで寅さんみたいだなと、笑ってしまった…引き受けた。
その1件があるぐらいで、本当に、私は、以来、他者の結婚式や葬式、とにかく、儀式の類には一切出ないで、人生を過ごして来た。
その点でも、そんな経営者は、一人もいないだろう。
撮影・文章・映像制作:MIKIO KISARA
撮影地:グラングリーン梅田、大阪
撮影日時:2026年10月25日、夕刻。
音楽:AI美空ひばり「あれから」

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