倉俣史郎とエットレ・ソットサス21_21 DESIGN SIGHT編…2011年2月20日(日)朝日新聞14面

評者:美術家 森村泰昌

 

自由な表現。言うのは簡単だが、これを為しえる表現者はなかなかいないものである。

 

…中略

 

私には、倉俣がまるで厳格な戒律を自身に課する僧侶のように思われる。あくまで自分の本分はデザインであると見定めた上で、いかに自由な表現が可能かを追求し続けた孤高の僧だ。イスはイスであって彫刻ではない。店舗はあくまで店舗であって、インスタレーションなどと呼ばれる美術における空間表現とは一線を画するものである。

 

…中略

 

倉俣に比べると、ソットサスはおもしろいほどにインモラルである。豊穣なエロス感覚が、まるで無邪気な児戯のように発散する。そういう熱い快感が軽快に疾走する「自由」が、ソットサスの魅力であろう。

 

モラリスト倉俣は、不自由の中に自由の可能性を見いだし、インモラリストのソットサスは、自由であることの喜びを素直に表した。手法は違うが、自由であることによって、表現の質を高めようと戦ったという点で、変わるところはなかった。

 

…後略

 

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