新型肺炎は中国版チェルノブイリとなるのか――李文亮医師の死が揺さぶった中国共産党の天命

2020年2月14日発信。
日経新聞掲載のフィナンシャル・タイムズ記事を紹介しながら、新型コロナウイルス感染拡大、武漢での初期隠蔽、李文亮医師の死、中国国内の怒り、そして中国共産党体制の正統性危機を論じる。
天命、朝代循環、チェルノブイリ、アラブの春との比較を通じて、新型肺炎が中国共産党の存続に関わる重大問題へ発展したことを示す。

2020-02-14
新型肺炎を隠蔽しようとした初期の対応について、中国のネット上では嘲笑、嫌悪を示す投稿があふれている。
当局の検閲機関は、これらの投稿を抑え込むのに苦労している
以下は今日の日経新聞に掲載されたフィナンシャル・タイムズの記事からである。
新型肺炎「王朝」の危機 医師の死、中国の前途に影
アジア・エディター ジャミール・アンデリーニ
中国では古来、歴代王朝は「朝代循環」を繰り返すと考えられてきた。
強力な指導者が天下を統一し、帝国として興隆し繁栄するが、やがて衰退し「天命」を失って、次の王朝に打ち倒されるというものだ。
中国の天命の概念は、王としての権利は神から授けられ、王は神のみに対して責任を負うとする欧州の「王権神授説」に似ている。
しかし、天朝(中華帝国)の支配権が皇帝に無条件に与えられるわけではない点で異なる。
「天子」(皇帝)は玉座にある間、臣民に対する全権を有する。
だが、天子は必ずしも高貴な生まれである必要はなく、また、その地位にふさわしくなかったり、不公正だったり、単に無能だったりすれば、授かった天命を失うこともあり得た。
天が怒っていると思われる時は民衆が反乱を起こす権利も暗黙のうちに認められていた。
天災、飢饉、疫病、侵略、また民衆の武装蜂起でさえ、天命が離れた兆候だとみなされた。
農村出身で強大な権力を手にした「皇帝」毛沢東が1949年に国共内戦に勝利した後、中国共産党はこうした概念を非科学的な迷信であるとして消し去ろうとした。
一方2012年に権力の座に就いた習近平国家主席は、古来の伝統や信念を一部復活させようとしてきた。
しかしその習氏も、朝代循環や天命への言及は慎重に避けてきた。
特にこの1年は、歴史をひもとくと、凶兆とされる出来事が次々と続いてきているからだ。
最大の貿易相手国である米国との貿易戦争、旧英国植民地の香港で公然と起きた抗議活動、そしてアフリカ豚熱(ASF)の壊滅的なまん延による豚肉の供給不足と、いずれも昔なら王朝の滅亡が近い前兆とみなされたであろう出来事だ。
しかし、これらも昨年末に中国中部の都市、武漢から始まった新型コロナウイルスの感染拡大に比べると、大したことないようにみえるほどだ。
歴史の皮肉と言うべきか、武漢は1911年、清王朝の最後の皇帝が倒された辛亥革命が始まった都市だ。
その武漢が今、恐るべき感染症の発生源となった。
この新型肺炎はすでに中国全土に、さらには世界中に広がっている。
約6000万人の住民が暮らす地域の交通を遮断して封鎖する史上最大規模の検疫も実施された。
公衆衛生上の緊急事態に際しては、正確な情報を適切な時に、隠さずに公表する必要がある。
しかし、中国の独裁体制はこうした事態への対処がとりわけ不得手だ。
それゆえに、新型肺炎の拡大は、習氏がこれまで直面してきたどの難題よりもはるかに重大だといえる。
コロナウイルスを今後数週間以内に抑え込んで収束できるのであれば、習氏は地方政府の危機対応担当者に責任をなすりつけ、自身には責任が及ばないようにして傷つかずにすむ可能性がまだ残る。
感染封じ込めのために経済活動を相当停止させたことをきっかけに、習氏は中国社会の監視と統制をさらに強める必要があるとさえ主張できるようになるかもしれない。
しかし、もしウイルスの迅速な封じ込めができなければ、新型肺炎は中国版の「チェルノブイリ」となる可能性がある。
1986年に起きた旧ソ連のチェルノブイリ原発事故と同様、独裁体制の虚偽と不条理が白日の下にさらされるのだ。
新型肺炎を隠蔽しようとした初期の対応について、中国のネット上では嘲笑、嫌悪を示す投稿があふれている。
当局の検閲機関は、これらの投稿を抑え込むのに苦労している。
早い段階から嘲笑の対象となったのは、北京から武漢に派遣された保健担当の上級官僚だ。
その役目は、新型肺炎が「予防可能で抑え込める」と公式に保証して民衆を安心させることだった。
この官僚は自身も感染し、政府が無能で虚偽にまみれていることの象徴となった。
率直にものを言う学者や知識人たちは、投獄される危険も顧みず共産党を非難した。
党は「実績に基づく支配の正統性」を失ったというのだ。
天命という言葉をはっきりと口にして、王朝末期の衰退の事例をいくつも挙げる者もいた。
しかし、今回の危機における決定的な瞬間が訪れたのは、2月7日、武漢の眼科医、李文亮氏(33歳)が死亡した時だった。
この瞬間を境に、新型肺炎の拡大は一つの重要課題から中国共産党の存続に関わる大問題へと発展した。
李氏は今回の危機が始まったころ、通常の治療に反応しない奇妙な新しい肺炎の症例を多数目撃し、医学部時代の同窓生のチャットグループで警告を発した。
李氏はそのことで、勤務する病院から懲戒処分を受け、深夜に警察に呼び出されて、少なくとも他の7人の医師とともに、自白書と、今後「噂」を広めないという訓戒書に署名させられた。
李氏自身が新型肺炎に感染したと知り、一般の人々は憤慨した。
中国の最高裁判所にあたる最高人民法院でさえ警察を非難し、最初に警告を発した医師らを称賛した。
しかし、7日に李氏が亡くなると、さらに激しい反応が湧き起こった。
李氏の死亡のニュースが最初に報じられたのは国営メディアだった。
この事実は、共産党が支配する強大な言論統制機関にはころびが生じていることを暗示する。
検閲官たちは「言論の自由が欲しい」といったネット上にあふれる要求に対応しきれなくなっていたのだ。
李氏を巡る経緯に人の心をゆさぶる力があるのは、一つには、中国で昔から伝わる典型的な人物像にぴったり合致するからだ。
清廉潔白な儒学者が、皇帝に対して真実を語るが迫害を受け、ついには正直であるがゆえに命を落とす。
このような人物が中国の学問の伝統の中では偉人とされてきた。
李氏はその姿に見事に当てはまる。
コロナウイルスの行方が今後どうなるかで、李氏はやがて、古代の儒学者よりも現代的な歴史的人物と同列に語られるかどうかが決まってくるだろう。
その人物とは、チュニジアの体制の不公正さに抗議して焼身自殺した露天商の青年だ。
2011年の中東の民主化運動「アラブの春」はこの青年の自殺を契機に始まり、これをきっかけに中東でいくつもの「王朝」が崩れ去っていった。

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