多様性を否定し、一元化を求める中国気質――「詐盗争私汚」と「誠施和公浄」に見る日中文明の決定的差異
2020年2月17日発信。
黄文雄氏の著作を紹介しながら、中国人のメンタリティとビヘイビアを「詐盗争私汚」、日本人の国民性を「誠施和公浄」と対比し、中国文明と日本文明の本質的差異を論じる。
中国思想の一元化志向、儒教・老荘思想の限界、空海の『秘密曼荼羅十住心論』による中国思想の位置づけ、日本の八百万の神、多神教的受容性、神仏習合、匠の技、共存共栄の文明原理を通じて、日本文明の使命を明らかにする。
2020-02-17
私はかねてより、中国人のすべてのメンタリティとビヘイビアは「詐盗争(闘)私汚」の5文字で理解できると説いてきた。
これは日本の国民性とはまったく逆である
以下は世界有数の中国通の学者である黄文雄さんの著作からである。
日本国民のみならず世界中の人が必読の書である。
本稿は前文のみならず中間部分も大幅に省略していますが、言うまでもなく、それらも全て必読の箇所です。
日本国民はどうぞ最寄りの書店に購読に向かって下さい。
国際社会で中国や韓国の反日プロパガンダを真に受けて来た人たちは本稿で、真実を認識して下さい。
本欄において何度も、私は今を生きる空海である、と言及してきた。
本稿は、そんな私の本懐、ここに在り、と高らかに宣言するような章である。
◎多様性を否定し、一元化を求める中国気質
私はかねてより、中国人のすべてのメンタリティとビヘイビアは「詐盗争(闘)私汚」の5文字で理解できると説いてきた。
これは日本の国民性とはまったく逆である。
日本人は「誠施和公浄」という5文字で表現できる。
中国の歴史は長い。
四捨五入して自称5000年もある。
歴史記録としては膨大な書物があり、もっとも有名なのが『四庫全書』である。
『四庫全書』は、清の乾隆帝が欽定した中国の経書を網羅したというものだが、保存状態のよい善本のみを採用しただけで、『百科全書』のように、ほとんどの経書を浄書させて再録したものである。
全書は計7万8731巻あり、総目と解題を合わせた『総目提要』だけでも200巻にものぼる。
数と量から見れば、それは中華文明のシンボルにもなるものであるが、では、質から見たらどう評価できるだろうか。
中国の学はおよそ「経」(経書)、「史」(歴史)、「子」(諸子百家)、「集」(詩詞)の四つの分野しかない。
今日でいえば人文学しかなく、社会科学や自然科学はない。
「哲学」については、あるかどうかさえ疑わしい。
思想分野から見ても、かなり偏っている。
たとえば、中国思想・文化の黄金時代と礼賛される春秋戦国時代の「百家争鳴」「百花斉放」といわれる学術や言論活動が盛んだった時代でさえ、諸子百家の思想はほとんどが「目的方法論」にとどまっている。
今日でいえば、非常に世俗的な「ハウツー」か「ノウハウ」論である。
同時代か、もっと古い時代のインドやギリシャなどとはまったく違い、哲学はなかった。
中国で「認識」論が芽生えたのは、仏教伝来後700年から1000年が経ってからの宋の時代である。
その時代に「理・気」の学がはやり、それを集大成したのが朱子学と明の時代の陽明学である。
それは盗んだ仏教の哲学用語で儒学の経典を再注釈したくらいのもので、社会科学もイスラム世界やキリスト教世界までには至らなかった。
約1200年前の空海の『秘密曼荼羅十住心論』は人間の精神史の発展について、10段階に分けている。
中国の主流の学である儒教は動物からやや進化した「第二住心」、反主流思想である老荘思想は「第三住心」と分類(ランク付け)される。
中国の思想文化は自画自賛するほどではなく、人類史から見れば動物に近い、文化レベルとしては「野蛮」にとどまっていると、空海は喝破していた。
前述のように、日本は多元的価値を許容する文明、文化である。
八百万の神がいて、そのほか、クリスマスも正月の神社参りも、とにかく何でも受容していいものは残す。
しかし儒教および中国では、すべてを一元化し、多様性を否定する。
すべてを統一し、同化しようとするのが、その特徴なのだ。
日本は多神教的な原始神道があるから、いかなる文化、文明、文物も排除せずに、四方八方から流入した。
それでも、儒教や中華思想は土着しなかった。
日本人の信仰心はもとより強くない。
よくあげられるのは、日本国内におけるキリスト教の信者数である。
各宗教の信者数のうち、キリスト教系は約192万人(文化庁『宗教年鑑 平成30年版』)で全体の1.1%しかない。
一方で、推定によると神仏の信者は合計約1億7000万人を超えている(前掲の年鑑)。
人口よりも多いのは、神道の信者であると同時に仏教の信者でもある人が多いからだ。
多神教の国だから、七五三は神社、結婚式は教会、お葬式は仏式でも、違和感がない。
また、信仰心が薄いといわれるものの、初詣などで神社仏閣に集まるあの人数を見ると、じつは信仰心は薄くないという論もある。
一神教のユダヤ教の影響と西洋のキリスト教、中東のイスラム教の隆興などから、近代宗教学においては多神教から一神教への進化が主流となる。
しかし、多神教のアニミズムから生まれた神道が日本文明のベースとなり、日本文化・文明の受容性の根幹となってきたことから見ると、西洋の宗教学は修正せざるをえない。
「記紀」に出る八百万神にも八十神にも、万能の神がいない。
道教のように、雲に乗って四海雲遊、遊びまわる仙人もいない。
むしろ、雨の神も日の神も勤勉で民に恵みを与え、天照大神さえ機を織っている。
全知全能の神がおらずに一神一技一芸だから、ともに働く。
これが共存共栄、相互扶助の日本社会をつくった。
異教の徒がパンテオン(万神殿)に入ってきても排斥せずに迎え入れる精神が、日本人の「習合」の仕組みをつくったのだ。
それは神仏習合のベースになっただけではない。
後述する、漢字仮名混じり文もこの習合の摂理から生まれたものと考えられる。
日本人の科学技術はサルマネばかりで、独創的な創意工夫はほとんどないという批判もあるが、それは「独創力」に対する偏見だ。
たとえば法隆寺の五重の塔、釘一本も使わずにつくられた岩国の錦帯橋、各地の城の築城や日本庭園の石組などは、日本の文化風土から生まれた独白の技術によるものだ。
日本の「技術」は決してサルマネばかりではない。
日本の技術は習合型のものが多く、技術と技術を結びつけるのが巧みだ。
「匠の国」とまでいわれる日本は技を磨きあげるのがうまい。
生存競争には「人VS人」の「万人の闘い」が多いのに対し、日本人の技術の磨き方は、仏教の僧にもよく見られるように「入道」から「修道」、ケイコを重ね、最後に「得道」して一道をきわめれば万道に通じるようになる、というものだ。
日本は文武両道とも修道精神に富み、「万人の万人に対する闘い」よりも、各宗、各流、各派が芸を競い、技を競い、美を競って、芸をきわめる。
「匠の国」として、日本製品やサービスの品質は世界から絶賛されている。
アニミズムから生まれた原始神道の信仰は、生霊(むすび=産霊)の信仰である。
生むから生成、創造に至るまで、多様な意味が含まれている。
ことに四方八方を海に囲まれている日本列島という定量空間のなかで、日本人独特の「場」(トポス)の思想が生まれ育てられてきた。
この定量空間のなかで、いかにして多様性を保ちながら、共存共栄など共生の方法を考え、熟成させるか。
習合の精神をべースに、日本はその仕組みを創出している。
宗教的対立や紛争の絶えない世界において、宇宙船地球号としては、諸文化、諸文明を習合しながら未知の世界へ航行するのが最適と考えられる。
そして、それにもっともふさわしい国は日本であり、日本文明の使命ともいえるだろう。
