政府になら何を言ってもいいのか――阿比留瑠比が問う野党の人権意識

月刊誌「正論」に掲載された阿比留瑠比氏の論文をもとに、国会での野党質問の異常さを検証する。立憲民主党の石垣のりこ氏が「桜を見る会」を「史上最大の買収事件」と断じた発言を取り上げ、根拠なき断定や政権攻撃が国会を荒廃させている実態を批判する。

2020-03-03
政府になら何を言ってもいいのか――阿比留瑠比が問う野党の人権意識
以下は前章の続きである。
国会を荒涼とさせているのはどちらか。
政府になら、何を言ってもいいのか。
今国会に限ったことではないが、一事が万事、主流派野党の質問はこの調子だと言いたくもなる。
枚挙にいとまがないが、一部を取り上げると、立憲民主党の石垣のりこ氏は一月二十九日の参院予算委員会デビュー戦で、「桜を見る会」についてこう言い放った。
この石垣のりこを昨年の参議院選挙で辛勝させたのが、私が永遠に愛する故郷である宮城県人なのだから、私は、この人物の名前を目にする度に、生まれて初めて故郷に対する愛が減るのを感じるのである。
「たまたま就任した総理という立場と職権を利用して、自身の選挙区の有権者に無料で飲食を提供した史上最大の買収事件と言わざるを得ません。明らかに公職選挙法違反であると申し上げたい」
史上最大の買収事件とは、どういう意味だろうか。
桜を見る会にかかった経費は、計五千万円程度である。
無料で飲食といっても、ろくなものは出ない。
参加者全員に行き届くわけでもない。
会場の東京・新宿御苑までの旅費や宿泊費は、当然、参加者の自腹である。
桜を見る会自体は、民主党の鳩山由紀夫政権時も含め、長年開かれてきた。
それを大疑獄事件のように言われても、当惑するしかあるまい。
公職選挙法違反と断定する根拠は何かあるのだろうか。
安倍首相や政府に対してなら、デタラメも含めて何を言ってもいいと考えているとしたら、どういう社会観、人権意識の持ち主なのかと、あきれるしかない。
阿比留瑠比氏のこの指摘は、まことに正しい。
国会とは、本来、事実と言葉によって、国家の進路を論じる場である。
疑惑を追及するなら、根拠を示さなければならない。
違法だと言うなら、法的な論拠を示さなければならない。
買収だと言うなら、何が、誰に対する、どのような買収に当たるのかを明示しなければならない。
それが国会議員の最低限の責務である。
ところが、主流派野党の質問は、しばしばこの最低限を満たしていない。
印象だけで断定する。
言葉だけを過激にする。
相手を犯罪者であるかのように描く。
そして、その発言がテレビや新聞で切り取られ、政権攻撃の材料として拡散される。
これでは、国会は言論の府ではない。
単なる罵倒の劇場である。
しかも、彼らは自分たちの言葉が相手の人格や名誉を傷つけていることに、あまりにも鈍感である。
政府に対してなら、首相に対してなら、どれほど乱暴な言葉を投げつけても許される。
そのような考え方があるとすれば、それは民主主義ではない。
人権意識でもない。
単なる権力闘争のための暴力である。
安倍政権を批判する自由は、もちろんある。
政府を監視することは、国会の重要な役割である。
だが、批判と罵倒は違う。
監視と印象操作は違う。
追及と人格攻撃は違う。
この区別すらできない人間が、国会で国民を代表していると言うのなら、日本の民主主義にとって、これほど危険なことはない。
新型コロナウイルスへの対応が急務であるこの時期に、国会がこのような言葉遊びと政権攻撃に費やされていたことを、日本国民は決して忘れてはならない。
この稿続く。

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