そのような安酒を飲み続けてきた人間こそ、村上春樹なのである
公然と嘘を書く朝日新聞的な偽善こそが、安酒なのである
2014-08-12/2014-10-11
以下は、2014年8月12日と2014年10月11日に発信した、村上春樹に関する二つの章を、今、改めて整理して再掲するものである。
言い換えれば、佐々井秀嶺師は、民族的英雄として広く認められている人物なのである。
米国人の99%は、芸能人など知らなくても、何の支障もないことを知っているだろう。
毎年ノーベル賞の季節になるたびに、テレビ特番などで騒がれる村上春樹についても同じである。
そのようなものは、国民の時間の一部を奪うだけの存在に過ぎない。
もし日本全体が、村上春樹のような人物によって占領され、有名人として持ち上げられるような状態が続くならば、それは国民の生命にまで関わる退廃につながるだろう。
国家にとって本当に必要なのは、佐々井秀嶺師のように、死後になってなお、その偉大さが明らかになるような、本物の学者、本物の人物を、相応しい形で民族的英雄として遇することである。
ところが現実には、喜劇俳優や、ただの商業宣伝に過ぎないような存在、あるいは、ごく一部の人間にしか意味のない人物たちが、マスメディアによって大きく取り上げられている。
問題はそこにある。
なぜ内田樹が、朝日新聞社の書評委員に選ばれているのか、私には全く分からない。
それは、彼自身が「欧米の高級紙に比べれば、日本の新聞は幼稚園レベルである」と言ったことを思えば、何とも辛辣な指標である。
ある日、私は日経新聞について書き、続いて朝日新聞について書いた。
その悪影響については、いくつかの講義で考えたことがある。
土井たか子が死んだ日の、不快な文章である。
以下は、その時の春秋欄の末尾である。
村上春樹氏は作家として、二年前、中日韓の領土をめぐる争いが深刻化した際、世論の高揚を安酒に酔うことになぞらえた。
「政治家や論客が人々をあおり、気前よく安酒をふるまうような行為には、気をつけなければならない」
安酒を飲むな。
安酒に酔うな。
韓国を批判するにあたっても、そのことを心に留めたい。
村上春樹は、今や大ベストセラー作家であり、作家としては信じられないほどの大富豪でもある。
私は彼の読者をすべて数えたわけではないが、そのことは誰でも知っているだろう。
私が彼について、ある程度評価している部分もある。
それは、彼が昔風の無頼派作家ではなく、企業人とまったく同じように、新聞記事を読み、規則正しい生活を送っていることである。
午前中に原稿を書き、午後には書かない。
夜にはクラシック音楽を聴きながら酒を傾ける。
彼が上質なワインの味を知っているであろうことは、疑いない。
しかし、上記の春秋の文章は、完全に間違っている。
いわゆる朝日新聞的な、偽りの道徳主義という安酒。
公然と嘘を書くからである。
そのような安酒を飲み続けてきた人間こそ、村上春樹なのである。
私は彼のすべてを評価していない。
そもそも私は、彼の本を一冊たりとも最後まで読んだことがない。
読もうと思ったこともない。
それには理由がある。
彼もまた、私の同級生たちの中間よりやや下の部分に生きている人間の一人である。
日本の国力の低下と、文明のターンテーブルが20年間止まり続けたことに反比例するように、彼が大作家として扱われるようになったことは、言うまでもない。
私はすでに書いた。
文明のターンテーブルの進行が止まったことに反比例して、偽物の多くが跋扈し始めたのだと。
70年間にわたり、何の批判も受けることなくファシズム教育を続けてきた韓国。
25年間にわたり、21世紀の世界に存在するファシズム国家であり続けてきた中国。
それらに対して、職業として文章を書いている人間が何も書かないというのは、一体、何なのか。
安酒そのものではないか。
彼らは、まるで自分たちが文化人であるかのように思い上がり、文化を乱している。
しかし、もう十分である。
公然と嘘を書く朝日新聞的な偽善こそが、安酒なのである。
その安酒を飲み続けてきた者たちが、真実を語ろうとする者たちに向かって、安酒に酔うな、と説く。
これほど倒錯した話はない。
2014年の時点で、私はすでに、この構造を明確に見抜いていたのである。