一方は歴史の闇に光を当て、もう一方は虚偽の歴史に文学的装飾を与える

2017年9月5日の「彼の論文を購読するためだけにでも、日本国民全員は今すぐに最寄りの書店に向かわなければならない」では、私は、高山正之と村上春樹を明確に対比していた。
高山正之は、戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである。
彼ほど、戦後世界の隠された真実、歪められた歴史、朝日新聞や欧米メディアが語らない事実を、見事に明らかにしてきた人物はいない。
隠された真実、隠れた真実に光を当て、それを言葉として表現できる者こそ真の芸術家であるとすれば、高山正之は、ノーベル文学賞に値すると言っても過言ではない。
一方、村上春樹は、その対極にいる存在として私の前に現れていた。
フェイクニュースを流して恥じないメディア、捏造報道を行ってきた朝日新聞的言論空間、そして出版不況の中で作り上げられた「世界的作家」という虚像。
その中で、村上春樹は、日本の歴史を正しく理解しないまま、南京大虐殺という虚報に力を貸すような記述を作品中に置いた。
彼は、南京大虐殺30万人という荒唐無稽な数字を批判するどころか、40万人という、さらに危険な数字を小説の中に流通させた。
それは、朝日新聞や中国に対する媚びであったのか、ノーベル賞への欲望から来たものだったのか、私は断定しない。
しかし、結果として彼の記述は、中国の反日プロパガンダに利用され得るものだった。
高山正之が、世界の隠された真実を明らかにする本物の言論人であるならば、村上春樹は、朝日新聞的な似非モラリズムと虚偽の歴史認識に寄りかかるフェイク芸術家である。
私はこの時点で、両者の差を明確に見ていた。
一方は、歴史の闇に光を当てる。
もう一方は、虚偽の歴史に文学的装飾を与える。
この差は決定的である。

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