昭和天皇は日本のヒトラーだったのか――「一億玉砕」を退け、終戦を決断した立憲君主
戦局が絶望的となった1945年、日本では「一億玉砕」が唱えられ、国民は最悪の事態を覚悟した。
平川祐弘氏の論文から、陸軍の反対を抑えてポツダム宣言受諾を決断し、自ら玉音放送を行った昭和天皇と、ドイツ国民に自らとの心中を迫ったヒトラーとの本質的相違を明らかにする。
2020-06-23
「日本は勝てはしないが、負けない。
日本は降伏しないから」という理屈が言われ、新聞に「一億玉砕」などの文字が出るようになった。
国民は、最悪の事態を覚悟した。
以下は前章の続きである。
昭和天皇は日本のヒトラーか
一旦、開戦と決まるや、国民が戦争遂行を支持したことは自然だと思う。
無謀な戦争と思いつつも、そして、そのような不安が重くのしかかっていただけに、開戦当初の破竹の進撃は、それだけ嬉しかった。
陸海軍が大東亜戦争の緒戦に赫々たる勝利を挙げるや、国民は欣喜雀躍した。
陛下御嘉賞の言葉を賜った。
しかし、国力に劣る日本は、一旦敗勢になるや、もはや二度と勝機はなかった。
戦争末期には、私のような子供たちの間でも、同盟国ドイツが起死回生の新型兵器を開発しないか、などという他力本願を口にしたものである。
1945(昭和20)年になるに及んで、全国の大中の都市は、空襲で次々に焼き払われた。
「日本は勝てはしないが、負けない。
日本は降伏しないから」という理屈が言われ、新聞に「一億玉砕」などの文字が出るようになった。
註11
国民は、最悪の事態を覚悟した。
そのような状況に追い詰められていただけに、敗北は残念であったが、終戦の詔勅は、命が助かったという意味で有難かった。
陸軍の反対を抑え、ポツダム宣言受諾に踏み切った昭和天皇が、国民から感謝されたのは当然だろう。
昭和天皇は、たとえ御自身が極刑に処されるようなことがあろうとも、日本国民のために平和を回復しなければならないと決意された君主だったからである。
そして、そもそも日本が戦争に引きずり込まれたことについて、昭和天皇は、立憲君主としての分限を超えて大権を行使されることはなかったが、軍部の拡大方針に対しては、常に疑義を呈されてきた。
昭和天皇には、対米英開戦について、「豈朕が志ナランヤ」というお気持ちがあった。
それだから、御自身で玉音放送をしなければならないと決意されたのである。
ヒトラーは、降伏を考慮する指導者ではなかった。
ヒトラーは、言うならば、ドイツ国民に自分と心中することを強要しようとした。
この戦争に敗れるようであるならば、そのようなゲルマン民族は存在するに値しないと主張した。
ヒトラーの「すべてか、しからずんば死か」という言葉は、戦時下の日本でももてはやされた。
獅子吼と呼ばれた総統演説は、ドイツ国内では聴くことを義務付けられたが、同盟国日本でも放送された。
短波のせいか、ヒトラーの声が、うねるように大きくなったり小さくなったりする。
「ガンツ・オーダー・ガル・ニヒトだけは分かったぞ」と旧制高校生が言ったが、本当かどうか。
私には、万雷の拍手しか分からなかった。
だが、ナチス・ドイツが総崩れになった1945(昭和20)年春になると、中学生の私たちは言った。
「ドイツでなくてよかったね。
俺たちもベルリンにいたら、ヒトラー・ユーゲントとして戦場に引き出されて、死んでいたぜ」
この稿、続く。