憲法を論じない国会――コロナ禍で露呈した緊急事態条項の審議拒否と野党の立憲主義

2020年の通常国会では、衆議院憲法審査会の実質的な審議はわずか1回、参議院では一度も開かれなかった。
新型コロナウイルス感染拡大によって緊急事態における国会機能や私権制限のあり方が問われる中、野党は憲法改正論議を「まったく不急」として拒んだ。
安住淳氏の発言と馬場伸幸氏の演説を通して、議論そのものを封じる野党の言行不一致を記録する。


2020-07-10
憲法を論じない国会――コロナ禍で露呈した緊急事態条項の審議拒否と野党の立憲主義
以下は前章の続きである。
本稿は、「安住閣下の舌は何枚?」と題して月刊誌『WiLL』に掲載された、ジャーナリスト氷川貴之氏の論文からである。
2020年の通常国会は、150日間にわたって開かれた。
しかし、国の最高法規である憲法を議論する衆議院憲法審査会で審議が行われたのは、わずか1回だけだった。
参議院憲法審査会に至っては、一度も開催されなかった。
憲法審査会における実質的な議論は、すでに2年以上にわたって停滞していた。
その最中に発生したのが、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大である。
感染症の急速な拡大によって、国会を通常どおり開催できなくなった場合、国会議員の任期、選挙の実施、政府の権限、国民の権利、私権制限、地方自治体との関係をどのように定めるのか。
これまで想定してこなかった国家的な緊急事態に、日本国憲法と法律の体系が十分に対応できるのかという問題が、現実のものとして突きつけられた。
緊急事態条項を憲法に設けることの是非については、当然、賛成と反対の双方に重大な論点がある。
政府の権限が過度に拡大される危険性を警戒する意見もあれば、大規模災害、感染症、武力攻撃などの際にも国会と国家機能を維持するため、明確な規定が必要だとする意見もある。
だからこそ、国会の憲法審査会で、各党が公開の場において徹底的に議論しなければならなかった。
しかし野党側は、緊急事態条項を含む憲法論議を「まったく不急」と言い放ち、審議そのものに応じようとしなかった。
本稿が批判しているのは、野党が憲法改正に反対したことだけではない。
賛否を明らかにし、反対理由を国民の前で説明し、与党案の問題点を追及するための審議にさえ応じなかったことである。
憲法を変えるかどうかを最終的に決めるのは、国会議員ではなく国民である。
国会は改正案を発議するにすぎず、国民投票による承認がなければ憲法は改正されない。
それにもかかわらず、審査会の開催そのものを妨げ、国民が判断するための議論を封じることは、立憲主義でも慎重論でもない。
国民から憲法について考え、判断する機会を奪う行為である。
以下に掲載するのは、氷川貴之氏が記録した、2020年通常国会における憲法審査会の実態である。
憲法改正はサボタージュ
150日間に及んだ通常国会だったが、衆議院の憲法審査会で審議が行われたのは、わずか1度きりだった。
参議院では、何とゼロだった。
実に2年以上、審査会で実質的な審議が行われていなかったのである。
新型コロナウイルスの感染拡大を受け、憲法における緊急事態条項の必要性を訴える国民の声も多く上がる中、野党側は「まったく不急だ」と言い放ち、審議に応じる姿勢を見せなかった。
6月11日には、与党側が憲法審査会の開催を提案した。
しかし野党側は、「参議院で予算委員会の審議を行っている時には、審議はできない」として拒否した。
さらに立憲民主党の安住淳氏は、与党側の対応を次のように批判した。
「一方的に憲法審査会を開催しようとした強引なやり方だった。真面目に審査会で議論をしようというよりは、憲法改正を進めようとする勢力に向けたポーズだったのではないか。大変、不愉快な対応だ」
しかし、これでは、どうすれば野党側が審議に応じたのかが分からない。
開催を提案すれば「一方的だ」と批判する。
日程を示せば、別の委員会が開かれていることを理由に拒否する。
長期間にわたって開催されなければ、与党に努力が足りないと責任を転嫁する。
審議に応じない側が、審議できない責任をすべて与党に押しつける。
氷川氏は、これを「いちゃもん」と断じている。
今国会で唯一の開催となった5月28日の衆議院憲法審査会で、日本維新の会幹事長の馬場伸幸氏は、次のように演説した。
「メディアの討論番組や国会の予算委員会など、憲法審査会の場外では、憲法論議が活発になされても、本来の土俵はあってなきがごとし。国会の憲法審査会で各党が忌憚なく意見表明する自由討議の場が封じられ続けているのは、異常事態です。この時代に、国権の最高機関に身を置き、憲法について不断に論じるべき国会議員が、惰眠をむさぼっている場合でないことを、しっかりと肝に銘じてもらいたい」
まさに、その通りである。
テレビ番組や記者会見では、憲法改正に賛成、反対の意見を盛んに述べる。
選挙になれば、立憲主義を守ると訴える。
その一方で、国会に正式に設けられた憲法審査会では、自由討議にさえ応じようとしない。
それでは、国会議員としての責任を果たしているとは言えない。
憲法審査会で議論を始めたからといって、直ちに憲法が改正されるわけではない。
改正に反対する政党は、反対理由を述べればよい。
緊急事態条項に危険があると考えるならば、どの条文にどのような危険があり、政府の権限をどのように制限すべきかを具体的に提案すればよい。
現行憲法と法律で十分に対応できると考えるならば、その法的根拠と実務上の手順を説明すればよい。
それこそが、民主主義における国会審議である。
ところが、審議の場そのものを開かせない。
議論に参加しない。
与党が開催を提案すれば、その提案の仕方を理由に拒否する。
これでは、野党が守ろうとしているのは憲法ではなく、「憲法について国会で議論させない」という政治的な状態ではないか。
日本国憲法第96条は、国会による発議と国民投票によって憲法を改正する手続きを定めている。
改正の是非を国民が判断するためには、国会における十分な審議と情報公開が必要である。
審議そのものを拒み続けることは、この憲法上の手続きが実際に機能することを妨げる行為でもある。
新型コロナウイルス禍は、平時には見えにくかった国家制度の弱点を明らかにした。
感染拡大中に国政選挙の実施が困難になった場合、議員任期をどうするのか。
大規模災害によって多数の議員が国会に出席できなくなった場合、議決をどのように成立させるのか。
国民の生命を守るために移動や営業を制限する場合、どの法律に基づき、どこまで認めるのか。
政府の権限を一時的に強める場合、それを誰が監視し、いつ終了させるのか。
これらは、緊急事態条項に賛成するか反対するかにかかわらず、国会が検討しなければならない問題である。
野党が、本当に政府による権限濫用を警戒するのであれば、審査会へ出席し、政府権限を制限する仕組みを提案しなければならない。
議論を拒否したままでは、現行制度の欠陥も、改正案の危険性も、国民の前で明らかにならない。
民主主義の基本は、異なる意見を持つ者同士が、公開された場で自由に議論することである。
意見が違うから審議を拒否するという態度は、民主主義とは正反対である。
立憲主義とは、憲法という言葉を掲げることではない。
権力を法によって制限し、その制度を国民の前で絶えず検証することである。
そのための正式な審議の場を封じ続ける野党に、立憲主義を語る資格があるのか。
「言っていることと、やっていることが大違い」。
国会の開催延長を求めながら、閉会日の打ち上げを事前に準備する。
政府に説明責任を求めながら、自らは審議への出席を拒む。
立憲主義を掲げながら、憲法審査会における自由な議論を妨げる。
何から何まで言行不一致であることが、相も変わらぬ野党の実態だったのである。

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