日韓併合と戦後朝鮮半島の分断――宮脇淳子が論じる李承晩・金日成・済州島4・3事件
宮脇淳子氏の著作をもとに、日韓併合、敗戦後の朝鮮半島分断、李承晩政権、金日成をめぐる歴史認識、済州島4・3事件、李承晩ラインまでを論じた一篇。戦前と戦後を連続して捉え直し、朝鮮半島現代史の形成過程を考察する。
2020年8月22日発信。
本稿は、東洋史家・宮脇淳子氏の著作から第8章「南北に分断された朝鮮半島の悲劇」を紹介しながら、日韓併合、日本の敗戦、米ソによる朝鮮半島分割占領、李承晩政権と金日成体制の成立、済州島4・3事件、さらに李承晩ラインへと続く戦後史を論じたものである。
以下の引用部分は宮脇氏の著作に基づき、それに続く*印部分などには、当時の筆者自身の論評が加えられている。
原文の歴史認識、評価、表現を後から置き換えることなく、2020年8月22日に発信した記録としてここに収録する。
以下は、有数の読書家である友人から是非にと購読を勧められた本からである。
世界有数の東洋史学者の一人である宮脇淳子さんの著作である。
彼女の存在を教えてくれたのは、戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである高山正之である。
彼女のご主人であった故・岡田英弘氏は世界最高峰の東洋史学家であると、朝日新聞が決して、その存在を知らせなかった碩学の古田博司大教授は何度も言及している。
私は宮脇淳子さんは世界有数に幸福な人生を歩んでいる人だとも思う。
その慧眼については言うまでもない。
米国の歴史学会を支配している韓国のエージェント以外の何者でもないアレクシス・ダデンや、終戦直後の日本で日本女性を好きにもて遊びながら、反日学者の一人として名を売っているジョン・ダワー達は、彼女の爪の垢を煎じて飲まなければならない。
この本は、日本国民のみならず世界中の人たちが必読である。
日本国民は、今すぐに最寄りの書店なりアマゾン等で購読しなければならない。
これだけの、本物の学者の学問的業績が満載された本が、たったの900円なのだから、猶更である。
8章 南北に分断された朝鮮半島の悲劇
日本の敗戦後、戦勝国民のようにふるまった朝鮮の人たち
朝鮮半島の悲劇は、日韓併合などではありません。
問題は戦後なのです。
日韓併合のときは、西欧列強の一員となった一等国の日本の国民になれて朝鮮人はじつは本当に喜んでいた。
日韓併合を歓迎する記録はたくさん残っています。
ところが、日本がアメリカに敗けたとたんに変わり身早く戦勝国の側に立って、勝利者であるかのようにふるまった。
日本は朝鮮と戦争したわけではありません。
彼らも日本人として戦っていたはずです。
それが手のひらを返したような態度に出たのです。
しかし、戦勝国民ではないので、第三国人と呼ばれました。
アメリカもそうした朝鮮人を放任した。
アメリカは日本占領が激しい抵抗にあうことを覚悟していたからです。
沖縄を基地として一年ぐらいかけて占領政策を実行するつもりだった。
日本がこれほど平和的に占領を受け入れるなどとは夢にも思っていなかったのです。
そこで、日本国内で日本人と対抗できる在日朝鮮人と中国人を第三国人として味方につけようとしたのです。
西欧の植民地支配は、デバイド・アンド・ルール(分割統治)が原則です。
国内を分断して第三国人と日本人を競わせて支配しようとしたのです。
*立憲民主党等と言う愚劣な政党に肩入れして安倍首相を攻撃し続け日本国の分断と弱体化を図り続けている朝日新聞やNHK等の態様は、GHQ譲りだったわけである*
アメリカの権威をかさにきた朝鮮人は、戦後の混乱をいいことに、駅前のに土地に縄を帳って自分の土地にしてしまうなど、やりたい放題に無法のかぎりをつくしました。
だからいま日本の駅前には必ずと言っていいほどパチンコ店があるのです。
アメリカの占領下で日本の警察も彼らの犯罪行為を取り締まれなかったので、体を張って日本人を守ったのがやくざでした。
それで朝鮮人が多く住んでいた広島や北九州のやくざ組織は勢力を拡大したのです。
李承晩はアメリカをバックに政敵を暗殺して大統領に就任した
1945年の日本の敗戦で朝鮮半島は分断されることになります。
38度線をはさんで北をソ連軍が占領し、南はアメリカ軍が進駐したからです。
戦後すぐに冷戦が始まってアメリカとソ連は38度線を軍事境界線として対立し、1946年1月には南北の移動ができなくなります。
このため満洲からの日本人引揚者は朝鮮半島を経由して帰ってくることができなくなりました。
治安が悪化していたからです。
そこで、いったん山東半島や遼東半島に集まって、アメリカの軍艦で帰ってきたのです。
朝鮮半島の南では、GHQの軍事占頷下で、李承晩と金九と呂運亨の3人が実権争いをして、しのぎを削っていました。
李承晩は両班階級ですが、英語はできたのでアメリカに亡命していました。
反日活動をしたように言っていますが、囗ばかりで何もしていません。
日本統治下の経験がなにひとつないので、ただひたすら観念的に日本を悪者にしただけです。
金九は3人のなかでは一番活動した人です。
天皇陛下暗殺計画も金九の仕業です。
彼は中国との関係もよかった。
ところが、最後には李承晩が他の二人を暗殺して、実権を握ります。
アメリカとのパイプ役になったわけですが、アメリカとしても李承晩をそれほど評価しているわけではなかったようです。
1948年に朝鮮半島南部のみの総選挙で李承晩が初代大統領に就任して、日本が降伏した8月15日に大韓民国が建国されます。
韓国は日本から独立をしたのではなく、アメリカの軍事占領下から独立したのです。
このとき、国連も大韓民国を朝鮮半島唯一の合法政府として認める決議案を採決しています。
ソ連が送り込んだ「伝説の金日成将軍」は別人だった
一方、北では大韓民国が成立した翌月の9月に金日成が首相となって朝鮮民主主義人民共和国が建国されます。
金日成は、朝鮮の38度線以北を占領したソ連が沿海州から軍艦に乗せて上陸させた人物です。
「これが伝説の金日成将軍だ」と言って送り込んだのが、金日成でした。
金日成神話は、日韓併合の前から存在していて、日本の陸軍士官学校を出た金日成将軍が将来韓国を独立させるといううわさが、そのあともずっと韓国、朝鮮人の間で流れていました。
朝鮮では金日成は、反日パルチザンのヒーローだったのです。
真偽は明らかではありませんが、日本の満洲国時代に満洲にいた抗日軍に参加した金日成は、1940年に満洲の警察部隊の前田隊を事実上全滅させたとされています。
そうはいっても、前田隊は隊長の前田さんを除くと全員が朝鮮人だったそうです。
満洲国の警察に手配されて、金日成の首に懸賞金がかけられて、新聞記事にもなります。
結局、金日成がいた満洲の東北抗日連軍は、日本側の帰順工作や討伐作戦によって壊滅状態におちいり、金日成は上司を置き去りにして10数名の部下とともにツ連の沿海州に1940年に逃げるのです。
戦後、ソ連に越境した金日成を連れて帰ってきたとソ連軍は宣伝しましたが、彼はまだ33歳の若者で朝鮮語も話せませんでした。
朝鮮の人たちも、有名な金日成将軍といえば、白いひげをはやしたおじいさんだと思っていた。
それが、実際に現れた金日成将軍があまりに若かったのでみんな驚きます。
本当の金日成とパルチザンで一緒だった生き残りで、これは別人だと証言した人間はすべて殺されます。
真相は闇に葬られたのです。
いまでも日本では和田春樹氏をはじめ朝鮮史の研究者たちが、金日成主席はパルチザンの金日成将軍だと言っています。
*この和田春樹は本当に度し難い人間である。彼が折々に日本政府攻撃、日本批判の為に出す反日声明に、常に所謂文化人の一人として名前を出していた大江健三郎の度し難さも極まっているのである*
しかし、どう考えても、北朝鮮の指導者となった金日成がパルチザンに参加した伝説の金日成であるはずがありません。
金日成が北朝鮮に入ってきたのは33歳のときです。
満洲で1940年に組織されたパルチザンの部隊長がどうして1945年に33歳なのでしょうか。
北朝鮮ではそんな疑いを囗にしたとたんに労働改造所に送られて殺されてしまいます。
金日成が抗日パルチザン出身だということが、北朝鮮の指導者としての正統性の根拠になっているからです。
済州島で6万人の島民を虐殺した李承晩大統領
それでは南の李承晩政権はどうだったのかというと、こちらも、その成立の過程で多くの血が流されています。
1948年に済州島で4.3事件が起きて、朝鮮戦争をはさんで1954年までに6万人の住民が殺されました。
事件のきっかけは、南朝鮮が北朝鮮ぬきで単独選挙で建国しようとしたことにあります。
単独選挙に反対した左派の島民が4月3日に武装蜂起したのに対して、警察や右派青年団が乗り込んで弾圧し、さらには韓国軍による殺戮へと発展していったのです。
済州島は高麗時代はモンゴルの直轄地でモンゴル馬の放牧地になっていました。
その後、流人の島とされてきたこともあって、古い時代から差別を受けていました。
政争に敗れた貴人たちが流されてきた島なので、島民は、誇り高く、自立心の強い大たちです。
済州島で従軍慰安婦狩りをしたという吉田清治の証言が真っ赤なウソだというのは、済州島に聞き取りにいったジャーナリストにはすぐにわかったことでした。
なぜなら、もし女性が強制連行されたりしたら、済州島の男が黙ってはいない、みんなで袋だたきにして殺すと済州島の人が言っているからです。
それほど気位の高い人たちですから、激しく抵抗した。
そのために島民の5人に1人が殺されたのです。
こんなことは日本の統治下では1度もなかったことです。
李承晩は、南朝鮮だけの独自選挙に際しても、反対派を600人も殺害して選挙に勝って、初代大韓民国大統領に就任しているのです。
だから韓国でも李承晩は人気がありません。
しかも朝鮮戦争で北朝鮮軍が侵攻してくると、自分だけすぐにソウルから釜山まで逃げています。
朝鮮半島の歴代の王たちとまったく同じ行動で、民衆よりも先に指導者が逃げ出すのです。
ところが、アメリカを中心とする国連軍が仁川に上陸して反転攻勢に転じると、李承晩はマッカーサーに「原子爆弾を落とせ」と言って、アメリカをあきれさせています。
日本にとっても李承晩は最悪の大統領でした。
朝鮮戦争中の1952年に、それまで日本の海域を制限していたマッカーサー・ラインに代えて、一方的に李承晩ラインを設定して排他的 経済水域を拡大し、日本の漁船を手当たりしだい拿捕して逮捕、抑留、銃撃をするなど、やりたい放題でした。
この李承晩ラインがのちに竹島を韓国に実効支配される原因になるのです。
この稿続く。
