キッシンジャー外交の失敗――米中接近とベトナム戦争を高山正之が再検証する
キッシンジャーの「無知」が世界と日本を混乱させた メディアは称賛するが支那人の傲慢と無作法を見誤った
ヘンリー・キッシンジャーの死を機に、戦後外交の「失敗」として再検証されるべき米中接近の真実を高山正之が喝破。
毛沢東との「歴史的会談」がもたらしたのは、文化を持たぬ支那人の傲慢と、世界規模の混乱だった。
ベトナム戦争終結も欺瞞に満ち、日本と世界はその代償を今も払っている。
2024年01月01日
以下は定期購読専門の月刊誌テーミス今月号からである。
私は、高山正之の連載コラムを読むために購読している。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであることを証明している。
私の親友は、本論文を読んだ後に言った。
「私は、あなたと高山正之が呼応している事を確信した」
キッシンジャーの「無知」が世界と日本を混乱させた
メディアは称賛するが支那人の傲慢と無作法を見誤った
文化文明から一番遠い支那人
ヘンリー・キッシンジャーが先日、100歳で亡くなった。
日本の新聞はその名に気圧されたのか、毛沢東の支那を自由世界に引き出したとか、ベトナム戦争を終結させたとか、尤もらしい評伝を書いていた。
中で産経新聞だけはベトナム戦争当時のサイゴン特派員だった古森義久に「キッシンジャー外交の大失態」の見出しで尊大にして傲岸な勘違い男を書かせていたのが面白かった。
だいたい、あのころの支那は鎖国中で支那人は国外に出られなかった。
それがキッシンジャーのせいで支那人が日本にまでやって来た。
途端にピッキングだATM泥棒だと犯罪が急増し、ODA詐欺で3兆円、おまけに尖閣まで事実上盗られてしまった。
米国自身も後にピルズベリーが告白しているように知財も軍事機密も盗まれて儲かったのはキッシンジャーとクリントン夫婦だけだった。
今、世界は傲慢で無作法な支那人にうんざりしている。
それもこれもキッシンジャーが支那人(漢民族)の正体を知らなかったせいだ。
彼らは支那4千年の歴史を奴隷で過ごしてきたから文化文明からは一番遠いところにいた。
唯一の文化があの纒足だ。
本当の蛮人だった。
そんな支那人をまともと信じた。
その意味で田中角栄も同罪だが、不見識は0DA3兆円で始末をつけた。
ベトナム和平も酷かった。
古森はパリ会議の中身は「米軍の全面撤退と米軍捕虜600人の解放」だけで南ベトナムの安全は一語も語られていない。
「要するに米国にとっての和平だけ」(同)だったと。
それでノーベル平和賞はないだろうといっている。
北ベトナムのレ・ドクトは正直にノーベル平和賞を断り、さらに2年間、南を攻めて75年4月に全上を掌握した。
サイゴンの旧米国大使館にベトコンの戦車が乗り入れる幕切れはまだ記憶にある。
結果、「南も共産化され、民は塗炭の苦しみを味わい、多くの民がボートピープルとして国外に脱出した」と理解されている。
古森のコラムも同じだ。
こちらは当時、社会部記者。
外電をそのまま信じ、そう思っていた。
ボートピープルが日本海に流れてきて救助され、彼らの望む米国に飛んでいったこともあった。
でもベトナムから漕ぎだしても海流のせいで日本には来ない。
阿倍仲麻呂みたいに逆戻りするはずで、ヘンだと思っていから案の定、福建辺りの支那人がボートピープルを装って日本経由で米国に不法に潜り込んでいたことがバレた。
まずあの国は暗い共産国家どころかラブホテルが乱立し、料理屋も満席で、みんなで人生を楽しんでいる。
もう一つ。支那を嫌う。
女性がやたらと強いベトナム
その後、外信部に出て、ベトナム戦争後のあの国を北のドンダンから南のチャンバンまで旅した。
その後も宮崎正弘らと再訪もしている。
そして報道とは全く違うベトナムを見た。
まずあの国は暗い共産国家どころかラブホテルが乱立し、料理屋も満席で、みんなで人生を楽しんでいる。
もう一つ。
支那を嫌う。
キッシンジャーが毛沢東を通して和平の道筋を付けたなんて真っ赤な嘘だ。
『ランボー』の映画では女が虐待されるが、この国では女がやたら強い。
「男はだめだね」と元ベトコンの女闘士グェン・ティティはいう。
彼女は初めて17度線を越えホーチミンに会っている。
統一後はサイゴン市長を務め、日越合資のサイゴンサタケなど80社を経営する。
社の幹部はみな女。
ハリウッド映画で女スナイパーが米兵を震え上がらせるが、あれは実話。
この国は女で持つ。
米軍撤退後の2年間の戦争も、実は祖国を取り戻すためだった。
仏印時代、フランス人は支那人を使ってベトナム人を支配した。
人頭税に加え、結婚、出産、葬式にも課税され、その徴税を支那人がやった。
阿片も売り、支那人は準支配階層を構成した。
戦後、ベトナム人はディエンビエンフーの戦いでフランス人を追い出した。
次にベトナムを共産勢力と誤解したケネディ政権が介入。
世にいうベトナム戦争が始まったが、これもほぼ10年間の戦いの果てに米軍撤退で終わった。
そして最後の2年を戦ったのは祖国を完全掌握し、ベトナム社会に深く根を張る支那人を排除するためだった。
統一ベトナムは手始めにサイゴンの隣の支那人街ショロンを制圧し、家の壁も天井も壊して隠して金銀財宝を押収した。
支那人は競って海に脱出した。
ボートピープルとは実は逃げ出した支那人を意味する。
それを大陸からきた支那人の海賊が襲った。
ときには殺した。
支那人の国民性がよく出ている。
宮崎正弘と再訪した折の通訳はショロンの支那人だった。
父は政府役人、母は教師だったが、ともに解雇、失職した。
家は壁も天井も剥がされ、財産を失い、彼も支那人という出自で「大学進学もできなかった」と嘆いていた。
ケネディ政権の国務長官マクナマラは後に「我々は東南アジアの歴史を知らなかった。誤解していた」と発言。
ベトナム戦争は外国勢力から祖国を取り戻す民族自決の戦いだったと認めている。
30年戦い仏、米、支那を退治し
ベトナム人は30年戦って、仏、米、支那という外敵を退治、追放した。
支那と仲がいいわけもない。
因みにカンボジア人もベトナム人の戦いを見て、祖国を取り戻そうとした。
それがポルポト派による170万人のキリングフィールドだった。
標的は仏印時代、仏人の手先として入り込んだ支那人とベトナム人だった。
彼らはカンボジアの国政も経済も握ってカンボジ人を搾取してきた。
ポト派の狙いは民族自決で、その手本を示したベトナム人がここでは皮肉にも粛清対象だった。
しかし新聞はボートピープルの正体もポト派の意図も未だに伝えていない。