2月13日、…建仁寺のこと。

芥川は若い時に京都に住んでいた時期が在ったからだけではなく、この寺の前は、何度か通っていた訳ですが、知恩院、青蓮院等と同様に、一度も、訪れたことはなかった。…おまけに此処は四条河原町から軽く歩いて行ける場所だというのに。

この日の午前中に泉涌寺に行き、戻って、向かった両足院は特別拝観中で、長谷川等伯の、「竹林の七賢人図」、等を公開してくれていた。「第一章」、で書いたように…音楽は響き、絵画は線、作家は文体…当然ながら、等伯の線は、実に見事なものだった。

両足院は、建仁寺の塔頭になる訳だが、芥川は、このこじんまりとした寺に惚れた(笑)…短い階段を上がって目に飛び込んで来る光景で一目惚れした。(笑)…ガビーンと来たのである。…これまで一度も来ないで損をしたな(笑)と思ったほど。…この写真は後日掲載します。

今日は、その嬉しい驚きのまま向かった…これこそうっちゃり続けて来た建仁寺の写真を掲載しようと思うのですが、此処では、更に驚いたが、考えてみれば、この日が訪れるべき時だったのでしょう。

正に、街のど真ん中…かの有名な料亭、一力の在る通りの先にあるのだから…そこにデーンと在る法堂は、ただそれだけのものだろうと思っていたのだが、入って、先ず最初に驚いたのが小泉淳作画伯の雲竜図の見事さだった…小泉氏の事は別章でウィキペディアから抜粋します…。

更に、驚いたのは、この法堂全体が、言わば…拈華微笑(ねんげみしょう)…とは、禅宗において禅の法脈を釈尊から受け継いだとされる伝説のこと。(ウキペディア)…の場で在ったこと!

 

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