曺廷楽と「洛東江」の闇――拉致工作と対南工作の実像。

卞准教授の身辺調査から浮かび上がった、曺廷楽と北朝鮮直属の秘密工作機関「洛東江」の実態を描く一篇。
張龍雲の手記、田中実さん拉致事件、朝鮮総連人脈、対南工作の経歴を通して、在日工作組織の深い闇と日本社会に潜む危機を告発する論考。

2019-06-16
張氏はこの手記の中で、1972年、曺の手引きによってこの組織に入り、彼の指令に従って、活動資金の調達や潜入工作員の指導、各種工作の実務を担ったことを告白した。

以下は前章の続きである。
卞准教授の身辺を洗うと、驚くべき事実が判明した。
彼は1998年11月、同じ在日の女性と結婚している。
当初は実験所に近い泉佐野市のマンションに住んでいたが、後に神戸市灘区に移っている。
筆者はこの住所に出かけてみたが、六甲山が迫る神戸の一等地に建つ50坪の敷地の豪邸である。
近所の不動産屋に聞くと、「坪150万円は下らないだろう」という。
鉄筋2階建てで、地下には2台分のスペースのビルトインのガレージがある。
この住所の登記簿を見ると、家が建てられたのは2001年1月である。
但し、卞准教授だけの所有ではなく、妻と妻の両親の4人の共同所有である。
それが何ともややこしい。
例えば、建物1階部分は、妻の父が5分の4、妻の母が5分の1、建物2階部分は卞准教授とその妻が其々2分の1ずつ、建物地下は、妻の両親・卞准教授・妻が其々4分の1ずつの所有となっている。
土地については、妻の父が5分の4、妻の母が5分の1の所有権を持つ。
建設するに当たって、娘婿の卞准教授も資金の一部を出したかもしれないが、事実上、この家を建てたのは妻の父だろう。
卞准教授の父に当たる男は曺廷楽という。
一部ではよく知られた名前である。
何故なら、『洛東江』という北朝鮮直属の秘密工作機関の親玉だったからだ。
洛東江の存在が明るみに出たのは、朝鮮総連の活動家だった張龍雲(故人)なる人物が、1997年1月号の月刊誌『文藝春秋』に手記を寄せた為だ。
張氏はこの手記の中で、1972年、曺の手引きによってこの組織に入り、彼の指令に従って、活動資金の調達や潜入工作員の指導、各種工作の実務を担ったことを告白した。
そして、洛東江は日本人拉致にも手を染めていたことを暴露したのだ。
1978年6月、神戸市のラーメン店店員だった田中実さんが突然、失踪した。
張氏は、同組織の韓龍大(故人)と曺が共謀の上、田中さんを成田空港からウィーンに出国させ、モスクワを経由して北朝鮮に拉致した事実を明かした。
韓は、田中さんが勤めていたラーメン店の店主だったのである。
この手記は大きな反響を巻き起こした。
『北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会・兵庫』の長瀬猛代表と岡田和典氏は、韓を2002年10月に、曺を2003年7月に、国外移送目的略取等の罪で兵庫県警に告発した。
これに先立ち、長瀬氏と岡田氏は、週刊誌『FRIDAY』記者の佐村多賀雄氏を伴って、韓と曺が其々住む青森と山形に向かった。
そして、数日間の張り込みの末、2人を直撃した。
「当時、韓は八戸でパチンコ三昧の生活でしたね。
パチンコ屋から出てきたところを捕まえ、『田中実をどうしたんだ!』と聞くと、『俺は知らない。
やったのは曺廷楽と張龍雲だ。
俺は関係ない』と言い張った。
数ヵ月後に山形の曺のところに行きました。
彼は向こうでパチンコ屋を経営していた。
張り込むと、気付いた彼は車で逃走。
公共温泉施設から出てきたところを直撃すると、曺は大暴れして、ストロボを壊されてしまいましたよ。
『韓と張がやったことで俺は関係ない』と否定していましたが、『田中実はJALに乗ってオーストリアに行った』とは漏らしましたね」(現在はフリージャーナリストの佐村多賀雄氏)。
別の関係者も、「『(田中実を)JALに乗せた』と曺が言った」と証言する。
しかし結局、この告発は有耶無耶のまま終わってしまったようだ。
長瀬氏によると、「不起訴になった」との知らせも無いという。
曺廷楽の経歴をここに記す。
曺は1938年、大阪出身。
極貧の生まれで一時、丹波の山奥で炭焼きをしていたこともあった。
1955年の朝鮮総連結成に参加。
本部宣法部指導員・総連灘支部勤務を経て、1960年代中頃には対南工作(対韓国工作)に従事していたようだ。
1968年頃には、朝鮮総連東神戸支部組織部長・尼崎西支部組織部長を務める。
1974年には、在日朝鮮人の青年が朴正熙大統領を狙撃し大統領夫人が亡くなった、所謂『文世光事件』に加担したとされる。
1975年には、韓が日本海を往復する非合法ルートで北朝鮮に渡るのを手伝った。

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