日本軍の戦争観とは何か――残忍さを競わず正々堂々と戦った軍隊の精神。

米軍と支那人の残忍さ、日本軍が日清戦争以来直面した敵の蛮行、そして山縣有朋の訓示に示された日本軍の戦争観を論じた一篇。
相手の残虐さに同化せず、降伏兵を殺さず、残忍さを競わなかった日本軍の精神を通して、日本の戦争観が他国と本質的に異なっていたことを描き出す論考。

2019-06-15
相手と残忍さを競わない、残虐行為はするなと訓示している。
日本軍はこの精神でもっと残忍な米軍とも戦った。
こんな宣言をする軍隊は他にない。

私の勧めに応じて以下の本を購読した人たちは皆、彼の博識、見識、検証の見事さ、取材能力の高さに感嘆したはずである。
同時に、彼は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるとの私の評を全くその通りであると同意するだろう。
米軍と支那人の残忍さ
日本人にしてみればそういう嘘を並べたがる彼らの感覚が不思議でならない。
前述したフィリピン植民地化の折に見せた米軍の行動はまさに残忍の極みをゆく。
彼らの戦術は南北戦争当時の北軍将軍ウイリアム・シヤーマンのそれを範としている。
戦争とは相手の軍を負かすだけでなく銃後を守る兵士の妻子までやっつけ、相手民族を滅ぼすことにあった。
これは約一千万人いたアメリカインディアン浄化作戦で実施され、彼らの95%が淘汰された。
彼らが共棲していた数千万頭のバイソンも糧道を断つ目的でほぼ淘汰した。
フィリピン平定も同じ。
米国の植民地化に抵抗したアギナルド将軍以下の独立義勇軍は一万八千人だったが、米軍が殺したのは公称二十万人、実際は数十万人に及び、その多くはアギナルド軍兵士の家族だった。
米軍の残忍さは圧倒的だ。
世界が認めるその残忍な国民が、「いや日本人のほうが凄い」と嘘を並べて謙遜している。
それが分からない。
支那もその点では引けを取らない。
彼らの残忍さに日本人が初めて遭遇したのは日清戦争だった。
牙山で敗れた支那軍は潰走を始めるが、「逃げながら朝鮮人の家々に押し入り、掠奪、強姦、虐殺をほしいままにした」と日本軍と行動していた仏フィガロ紙カレスコー記者が記録している。
支那人の残虐さに日本兵は驚いていたと。
金州城では日本軍の三倍の勢力を持った支那軍が攻めてきたが、反撃され死傷者を残して逃げた。
入れ替わるように支那人農民が現れ、死者の衣服をはぎ取り、息のあるものは殺して所持品を奪っていった。
土城子の戦いで日本軍斥候を捕らえた支那兵は「日本兵の耳を削ぎ、鼻を削ぎ、さらに顔の皮を剥ぎ、男根を切り落としたうえで、鈍刀で首を切り落とした」と秋山好古の副官が報告している。
その支那人がこれまた根拠なく「日本人は残酷だ」と米国と口裏を合わせる。
彼等は敵が残忍な手法を仕掛けたらもっと残忍な手法で仕返ししてきた。
シャーマン将軍は騎兵隊がやられた報復にインディアンの妻や子を残らず殺させた。
蒋介石も毛沢東も残忍にはより残忍で応じたが、ただ日本だけは違った。
いい例が日清戦争の最中に出された第一軍司令官山縣有朋の訓辞だ。
「(敵)軍人といえど降る者は殺すべからず。
然れどもその詐術(降参したふり)にかかるなかれ。
かつ敵国(支那)は古きより極めて残忍の性を有す。
誤って生擒(生け捕り)に遭わば必ず残虐にして死に勝る苦痛を受けついには野蛮惨毒の所為をもって殺害せらるるは必然なり。
決して生擒する所と成るべからず。
むしろ潔く一死を遂げもって日本男児の名誉を全うすべし」
後に東條英機の戦陣訓の一節「生きて虜囚の辱めを受けず」となったとされる訓示だが、徒に死ねと言っているのではない。
支那人のような常軌を逸した残忍な民族相手でも日本側は正々堂々と戦え、そういう相手だから手を上げて降伏するな、むしろ死ぬまで戦えといっている。
相手と残忍さを競わない、残虐行為はするなと訓示している。
日本軍はこの精神でもっと残忍な米軍とも戦った。
こんな宣言をする軍隊は他にない。
日本の戦争観がよそのどの国ともまったく違うことの証左だろう。
この稿続く。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください