女性の名すらなかった朝鮮と、日本女性教育の奇跡—戸籍、寺子屋、文化の格差
2019年6月9日付の論考。
朝鮮における女性差別の深刻さを、戸籍制度の欠如、女性に固有名がなかった実態、日本統治後の命名の変化などを通して論じ、日本との文化的格差を浮かび上がらせる一篇。
あわせて、紫式部や清少納言以来の日本の女流文学、江戸期の寺子屋における女性教師の存在を示し、日本社会の成熟度を際立たせている。
2019-06-09
江戸時代には寺子屋制度もできるが、寺子屋の先生は3分の1が女性だった。
教育の普及に加え、有職の婦人がすでにそれだけ存在したことは世界の奇跡と言ってもいいほどだ
以下は前章の続きである。
「名」もなき朝鮮の女性たち
朝鮮では女性差別も甚だしかった。
日本が1910年に韓国を併合して、まず人口動態を調べようとしたら、統計がない。
戸籍すらない。
しかも、女性には「名」がないことも分かった。
「姓」はあるが、「朴さんのところの嫁さん」という通称だけで、個々の名前がない。
そこで日本人が名前を付けさせ、戸籍をつくった。
それほど朝鮮人女性というのは差別されていた。
実際、つい最近、娘の友だちが韓国人に嫁いだら、「朝飯を男は居間で食って、女は台所で食う」という。
それで、さっさと離婚して帰ってきた。
朝鮮の古い文献を見ても、「閔妃」などという妃の名は出てくるが、下層階級の女性の名は出てこない。
日本が戸籍をつくってから、「芳子」とか「君子」とか、日本式の「子」のつく名前が急に増える。
それを「ヨンジャ」とか読むのだが、それは名をつける伝統がないから日本の真似をしたということだろう。
「女性を大事にするかどうか」は、文化のバロメーターだ。
女性の待遇をみれば、その国の文化がわかる。
それだけでも、日本と朝鮮にはものすごく大きな違いがある。
ちなみに、日本では「女流文学」がすでに11世紀には成立している。
西欧に500年先駆けている。
紫式部、清少納言をはじめ、女流作家がぞろぞろいた。
江戸時代には寺子屋制度もできるが、寺子屋の先生は3分の1が女性だった。
教育の普及に加え、有職の婦人がすでにそれだけ存在したことは世界の奇跡と言ってもいいほどだ。
この稿続く。