安倍vs朝日の闘争勃発――拉致問題が暴いた朝日新聞報道の限界
慰安婦問題、歴史問題、北朝鮮拉致問題をめぐる朝日新聞の報道姿勢と、それに対する安倍晋三との対立の始まりを描く一篇。
小泉訪朝と拉致被害者帰国を契機に、朝日新聞の過去の報道への批判が高まっていく過程を鋭く辿る。
2019-06-06
翌平成14年9月の「小泉訪朝」で北朝鮮が日本人拉致を認め、一部の拉致被害者が帰国する時点で、過去の朝日新聞の報道への批難の声が高くなっていく。
以下は前章の続きである。
安倍vs朝日の闘争勃発
このあとも朝日新聞の日本を貶める報道は続くが、部数はどんどん伸びていく。
平成5年、この年は、のちに朝日の天敵となる安倍晋三が衆議院に初当選を果たした年だが、当時の朝刊は8,228,960部、夕刊も4,500,000部超を保っていた。
平成10年までの朝日新聞は、慰安婦問題や歴史問題で中国、韓国の言い分を代弁し、北朝鮮の拉致問題を無視して、核やミサイルを「大騒ぎすることではない」と言い続けた。
流れが変わり始めるのは、20世紀が終わり、新しい世紀に入った頃である。
この頃同時に、安倍晋三と朝日の闘争が始まる。
平成13年、森喜朗総理大臣のもとで官房副長官に抜擢された安倍氏が、おそらく初めて朝日の一面で叩かれる。
「えひめ丸」事故の対応を巡る記事だった。
この頃から徐々に、いわゆるネット世論が生まれ始める。
平成13年、小泉政権が誕生したあとには、首相の靖國神社参拝を支持する声などが上がり始め、翌平成14年9月の「小泉訪朝」で北朝鮮が日本人拉致を認め、一部の拉致被害者が帰国する時点で、過去の朝日新聞の報道への批難の声が高くなっていく。
しかしそれでも部数は底堅く、朝刊は8,284,513部を維持していた。
この稿続く。