世界は中国共産党という巨大な不正を認識した――政治における敵の定義と日本の道義的責任

アリストテレスの三つの弁論を手がかりに、敵とは何かを考察し、中国共産党による新型コロナウイルス初動隠蔽と人権弾圧を、正義と不正の観点から論じる。さらに、ナチス・ドイツと同盟した過去の教訓を踏まえ、日本が再び邪悪を友人に選んではならないことを訴える。

2020-06-02
この基準は、正義か不正かの二択であり、人類が過去から現在までに得た善悪の観念に基づき、悪が決定される。
今、世界の人々は中国共産党という巨大な不正を認識した。
以下は前章の続きである。
敵とはどのように決まるのか。
では、改めて敵とは何だろうか。
それには3つの考え方がある。
アリストテレスの『弁論術』(尸塚七郎訳)によれば、思考には演説的弁論、議会弁論、法廷弁論の3種類がある。
演説的弁論は、感性による称賛または非難によって定義され、敵とは美しいか醜いかによって決まる。
異民族のマナーが悪く、また服装が醜いものであれば、感性において悪が決定される。
しかし、これはまさにヘイトスピーチの類であり、このような決定方法は現代では採用できない。
次に、議会弁論であるが、これは知性を前提にした損得勘定によって敵を定義する。
経済的に利益をもたらすものであれば良いものであり、損害をもたらすものであれば悪とされる。
しかし、これではまさにインバウンドを得るために、新型コロナウイルスもろとも呼び寄せてしまった際の手法であり、そこに正義はない。
最後の法廷弁論は、理性に基づいた告訴、または弁護によって定義される。
この基準は、正義か不正かの二択であり、人類が過去から現在までに得た善悪の観念に基づき、悪が決定される。
今、世界の人々は中国共産党という巨大な不正を認識した。
病魔を蔓延させ、隠蔽し、責任を転嫁しようとする現実を目の当たりにした。
この不正に対して、敵として告訴すべきか、味方として弁護すべきかの選択を迫られる中、我が国の為政者は適切な判断をしなければならない。
そう考えた時、被告人の利益のために尽力し、あるいは阿諛をなしてきた者や、明確な告訴意思を示すことができない者に、我が国の指導者が務まるだろうか。
否、断じてあり得ない。
蓋し、憲法改正を結党目的に設立された自民党であるのに改憲の意思を明らかにしない者や、今年春には習近平氏を国賓として招き、天皇陛下と同席させる計画をした者がいたことを忘れてはならない。
今後の国際政治が被告人を裁く場であることを想定した時、処罰意思がない者や、まして被告人と懇意であった者を我が国の為政者にすることは、国家の自殺でしかない。
疫病の災禍をもたらし、また特定の民族を浄化しようとする悪行を仮に看過したならば、どうなるであろうか。
それは、歴史が証明している。
私は、正義凛たる大日本帝国が唯一犯した過ちは、御名御璽を戴く条約締結において、かの虐殺者の盟邦となったことであると考えている。
日本は、昭和13年12月6日に、首相以下5名の閣僚による5相会議で採択した猶太、すなわちユダヤ人対策要綱にて、ユダヤ人排斥をしないことを決定した。
しかし、その過程において「独国ト同様極端ニ排斥スルカ如キ態度ニ出ツルハ唯ニ帝国ノ多年主張シ来レル人種平等ノ精神ニ合致セサル」との文言があり、ナチスがユダヤ人排斥をしていることを認識しつつ、昭和15年に同盟を締結したのである。
これは、「排斥といっても虐殺していることまでは知らなかったのではないか」との弁護も可能であるかもしれない。
しかし、昭和16年4月から駐日ドイツ大使館駐在武官に着任したヨーゼフ・マイジンガー武装親衛隊大佐が、日本の影響下にあった上海在住のユダヤ人、女性と子供を含む、を虐殺する「手法」について、日本政府に要望書を提出しているのである。
このことからも、日本はナチスが持つ明確な殺意を認識していた。
にもかかわらず、ドイツとの友好を維持したのである。
この罪の重さによって、杉原千畝や樋口季一郎らの英雄によるユダヤ人救出の活躍があっても、戦後日本の身分を決定的に位置づける罪科を負ったのではないか。
いま、公知の事実として、中国は新型コロナウイルス発生時の初動対応を隠蔽に費やしたことが明らかになっている。
また、特定の民族であるというだけで、女性と子供を含む多くの人々を強制収容し、非人道的な処遇をしていることは、国際社会において問題となっている。
この様な不正を世界は看過せず、その責任を追及する時は必ず到来する。
その時、日本が「世界の敵と盟邦」であったなら、どうなるであろうか。
この期に及んで敗戦屈辱の占領憲法に対し護憲を叫ぶ議員は論外としても、口では憲法改正を言いつつも、その内心において敵味方をはき違えている自称保守議員が指導者となれば、日本の未来は暗いものでしかない。
かつてドイツは第一次世界大戦で二正面作戦をして負け、第二次世界大戦でも二正面作戦をして負けた。
日本はかつて邪悪を友人にして負け、その影響によって生じた「悪魔の友人は悪魔に違いない」との冤罪の弁護に、私たち保守は相当な労力を費やしている。
再び、日本の為政者が邪悪を友人に選ぶことは、絶対に許されない。
日本は、道義的国家でなければならないのだ。
この稿続く。

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