本当に安酒を飲んでいたのは誰だったのか

2017年9月10日の「ソウルの飲食店で店中に響く大声での口論の末に、殴り倒した現場を目撃した。」では、私は再び、村上春樹の「安酒」発言を根本から問い返していた。
村上春樹は、かつて、朝日新聞を批判する本物の言論人たち、あるいはネットで発信せざるを得なかった私のような人間を念頭に置いて、彼らを「安酒」の思想に酔う者たちであるかのように語った。
しかし、本当に安酒を飲んでいたのは誰だったのか。
本当に、酒を飲む資格のない態様を示してきたのは誰だったのか。
私は、若い頃から食に深い関心を持ち、ローマやパリを訪れ、各国の料理を味わい、大阪の名店でも長年にわたって食を学んできた。
最高の食と酒を知る者にとって、「安酒」とは単なる値段の問題ではない。
それは、精神の下劣さ、知性の浅さ、道徳を装いながら現実を見ない態度を指す言葉でもある。
この意味で、真に「安酒」を飲んできたのは、朝日新聞的な似非モラリズムに酔ってきた者たちであった。
報道ステーションで、外報部デスクをめぐって見せられた似非モラリスト的な態様。
朝日新聞の論説空間に集う人間たちの傲慢さ。
そして、ソウルの飲食店で、後に朝日新聞論説主幹となる人物が、韓国について批判的な記事を書いた後輩記者に対し、「貴様は何故、韓国の悪口のようなことを書くのか」と店中に響く大声で罵り、殴り倒したという目撃談。
その後、この後輩記者は帰国し、大阪社会部のデスクとなり、従軍慰安婦報道を開始したのである。
この事実関係を踏まえれば、朝日新聞的言論空間がどのように形成されていったか、その異様さはさらに明らかになる。
韓国に批判的な記事を書けば、同じ社内の先輩から罵倒され、暴力まで受ける。
そして、その後に従軍慰安婦報道が始まっていく。
これは、単なる個人間の口論ではない。
朝日新聞的な歴史認識が、どのような空気の中で形成され、どのように日本社会へ流通していったかを示す、象徴的な逸話である。
これらは、まさに酒を嗜む者にとって、風上にも置けない態様である。
酒の名を借りて他者を裁く資格など、彼らにはない。
村上春樹の「安酒」発言は、朝日新聞的似非モラリズムの側に立つ者が、自分たちの飲んできた安酒を省みることなく、正当な批判者を侮辱した言葉であった。
私はその倒錯を批判していたのである。


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