朝日新聞は村上春樹を利用する――この国を駄目にしてきたマスコミの構造
2017年9月25日の「この20年貴方たち以上にこの国を駄目にしてきた張本人は居ない事を事実を持って指し示す為に」では、私は、村上春樹批判を、さらに大きなマスコミ批判の中に位置づけていた。
この章は、もともと2010年7月25日に発信した文章に加筆・修正したものである。
つまり、私はブログ開始直後から、戦後日本のマスコミがこの国をどれほど劣化させてきたかを、徹底して批判していたのである。
私が批判していたのは、単なる偏向報道ではない。
東京一極集中、情報の東京一極集中、地方都市の二流化、衆愚政治、ポピュリズム、タレント政治家の量産、デフレマインドの固定化、日本の国富の喪失。
この二十年、日本を駄目にしてきた最大の張本人は、政治家よりも、むしろマスコミであった。
マスコミは、自分たちこそが大政翼賛会的な存在となりながら、他者を大政翼賛会呼ばわりしてきた。
彼らは、GHQの占領政策を、まるで日本国そのものであるかのように錯覚し続けてきた。
彼らは、自国の政権を攻撃することがジャーナリズムだと思い込み、日本を豊かにし、日本人を自由にし、日本の知性を最高度に引き上げるための議論をしてこなかった。
私が求めていたのは、日本が米国に並ぶ世界最大級の金融大国となり、国富を増大させ、デフレを解消し、少子高齢化にも終止符を打つことであった。
豊かさ、繁栄、そこに生じる自由と最高の知性だけが、貧しさ、妬み、嫉み、やっかみ、殺し合いという、人間の愚かさを救う。
しかし、マスコミはそのような本質的な議論を避け、精神年齢の低いお笑い番組や、政治家叩きや、タレント政治家の持ち上げに終始してきた。
その構造の中で、私は、NHKと朝日新聞の態様を同質のものとして見ていた。
NHKの報道部はビート・タケシを利用し、朝日新聞は村上春樹を利用する。
これは、極めて重要な指摘である。
村上春樹は、朝日新聞的言論空間にとって、単なる作家ではなかった。
彼は、朝日新聞が自分たちの似非モラリズム、自虐史観、反政権的態度、戦後的価値観を補強するために利用できる象徴的人物であった。
だからこそ、朝日新聞は彼を持ち上げ続けた。
だからこそ、村上春樹の発言や作品は、単なる文学の問題では済まない。
彼は、戦後日本のマスコミが作り出した空気、すなわち日本を貶め、現実を見ず、豊かさと繁栄の議論を避け、似非モラリズムで国民を誘導してきた空気の中で、重要な役割を与えられた人物だったのである。
私の村上春樹批判は、したがって、村上春樹一人を批判するものではなかった。
それは、朝日新聞的マスコミ、NHK的報道空間、戦後日本の情報支配、そしてこの国を二十年以上にわたって劣化させてきた構造そのものへの批判であった。