日本に定着した連合国側史観――占領軍の『太平洋戦争史』と戦後歴史認識の形成
アメリカ占領軍は1945年12月8日から、全国の主要新聞に用紙を特配し、『太平洋戦争史』を掲載させた。
平川祐弘氏の論文から、日本軍の残虐行為を強調する連合国側史観が、GHQの占領政策、検閲、保守と左翼双方の受容を通じて、学界、新聞界、教育界に定着し、学問的正統性を獲得していった過程を紹介する。
2020-06-22
日本における連合国側史観の定着。
アメリカ占領軍は、1945(昭和20)年12月8日から、日本の全国主要新聞に用紙を特配してまで、『太平洋戦争史』を掲載させた。
もちろん、占領政策の一環である。
以下は前章の続きである。
日本における連合国側史観の定着
アメリカ占領軍は、1945(昭和20)年12月8日から、日本の全国主要新聞に用紙を特配してまで、『太平洋戦争史』を掲載させた。
もちろん、占領政策の一環である。
これは、マッカーサー総司令部の民間情報教育局が準備し、同参謀第三部の戦史官の校閲を経たものである。
ラジオの『真相はこうだ』という番組と同様に、戦争中、日本人には知らされなかった史実を伝えるものとされた。
日本軍の残虐行為を強調した。
言うならば、日本悪者史観である。
その重要性を、江藤淳はこう指摘した。
「『太平洋戦争史』なるものは、戦後日本の歴史記述のパラダイムを規定するとともに、歴史記述のおこなわれるべき言語空間を限定し、かつ閉鎖したという意味で、ほとんどCCD(連合軍総司令部民間検閲支隊)の検閲に匹敵する深刻な影響力を及ぼした。」
註8
第二次大戦で日本が戦ったのは、「太平洋戦争」だけなのか。
「大東亜戦争」の側面は、皆無なのか。
戦後、連合国側が押し付けた「太平洋戦争」とする見方が日本に定着したのは、1951年の日本の独立回復以後も、その見方を受け入れる余地が、日本人一般の側にあったことにも由来する。
日本国内では、わが国の安全保障を米国に委ねざるを得ないとする保守系の人々の間にも、米国の見方をよしとする人たちはいた。
また、ソ連や中国などの人民民主主義に好意を寄せる左翼系の人々にも、後に、いわゆる東京裁判史観と呼ばれる見方を容認する人は、断然多かった。
占領軍当局から示されたこのような史観に、日本国内の相当数の人々が賛同するとなれば、その歴史観が日本に固着するのは当然である。
歴史の見方は、一旦定着すると、なかなか変えることはできない。
占領期に、内外の勢力が手を握って、学界、新聞界、教育界に植え付けた歴史観は、やがて学問的正統性、すなわちレジティマシーを持つに至った。
それは、言ってみれば、薩長勢力が力を占めた明治、大正期に、維新の元勲の功績を讃える近代日本史観が定着したのと同じである。
それに対して、「開国和親を主張した徳川幕府の方が、尊皇攘夷の薩長よりも、本当は正しかった」というような修正意見を言い出してみても、一旦、賊軍の烙印を押された側の反論は、もはや容易には受け入れられなかった。
それと同じだろう。
この稿、続く。