正しい反復は独創であり、悪しき反復は犯罪である――梅棹忠夫の言葉から考える戦後日本の政治と言論
梅棹忠夫が残した「繰り返すことが独創である」という言葉を手がかりに、正しい主張を繰り返すことと、誤った情報や悪質な言動を繰り返すことの決定的な違いを論じる。
2020-07-11
【背景】
故・梅棹忠夫は、民族学者、文明学者として、戦後日本を代表する世界的な知性の一人であった。
その研究は、単なる学問上の業績にとどまらず、人類の文明がいかに形成され、社会がいかに発展していくのかを考えるための、独創的な視座を世界に提示した。
彼が残した数々の言葉の中に、次の一節がある。
【引用】
「繰り返すことが独創である」
これは、偉大な知性を持つ者にしか到達できない、極めて本質的な言葉である。
真実を語り続けること。
正しいことを主張し続けること。
人間と社会にとって大切な価値を守り続けること。
それは、単なる反復ではない。
時代の風潮や権力に流されず、自らの信念に基づいて正しい言葉を繰り返す行為そのものが、独創なのである。
しかし、同じ「繰り返す」という行為であっても、その内容が虚偽や誹謗中傷、情報操作、歴史の歪曲であるならば、意味は正反対になる。
正しいことを繰り返すのが独創であるならば、間違ったことや悪質なことを意図的に繰り返す行為は、社会に対する加害であり、場合によっては犯罪と呼ばれるべきものである。
野党の一部政治家、朝日新聞などの報道機関、それに同調するNHKをはじめとする左翼的メディア、いわゆる文化人、人権派弁護士、市民団体などに対して、私は長年にわたって厳しい批判を続けてきた。
それは、彼らの思想や立場が私と異なるからではない。
同じ主張を繰り返す過程で、事実を選別し、不都合な情報を隠し、特定の政治家や国家だけを一方的に攻撃する姿勢が、あまりにも長く続いてきたと考えるからである。
中国共産党の一党独裁体制が繰り返してきた情報統制、人権弾圧、歴史の利用についても、同じことが言える。
また、韓国で長年続けられてきた反日教育についても、それが日本人全体を敵視させるための教育であるならば、民族間の憎悪を再生産する極めて危険な行為である。
教育とは、本来、子供たちに事実を学ばせ、自ら考える力を与えるためのものである。
国家が特定の民族への憎悪を植え付けるために教育を利用するならば、それは教育ではなく、政治的な宣伝である。
私は、こうした行為を繰り返す者たちに対し、道徳的な意味において「犯罪者」と呼ばざるを得ないと考えている。
もちろん、現実の法律に照らして直ちに犯罪が成立するという意味ではない。
事実を歪め、憎悪を拡散し、社会の健全な判断を妨げる行為が、人間社会に対する重大な罪であるという意味である。
彼ら自身だけが、その重大さを理解していないのかもしれない。
あるいは、現世において直ちに罰せられることがないため、自らの行為が許されていると錯覚しているのかもしれない。
しかし、法によって裁かれない行為であっても、歴史と人間の良心によって裁かれる行為は存在する。
私はこれまでにも、地獄の閻魔大王が最大の責め苦を用意して、彼らを待っていると何度も書いてきた。
これは単なる宗教的な比喩ではない。
虚偽を繰り返し、他者を傷つけ、国家と社会を誤った方向へ導いた者は、いつの日か必ず、自らが行ったことの責任を問われるという意味である。
梅棹忠夫の言葉は、正しい思想や真実を繰り返し語る者に勇気を与える。
同時に、虚偽や悪意を繰り返す者に対して、極めて厳しい警告を突き付ける言葉でもある。
正しいことを繰り返すのが独創である。
間違ったこと、悪質なことを繰り返す行為は、決して独創ではない。
それは社会を蝕む行為であり、人間の良心に対する罪なのである。