国家の最大使命は国民の生命を守ることである――門田隆将氏「“内なる敵”が日本を滅ぼす」が突き付けた日本の安全保障

2020年7月、イージス・アショア配備停止を受けて浮上した敵基地攻撃能力をめぐる議論について、門田隆将氏の産経新聞連載をもとに、国家と政治家の最大使命である国民の生命の保護、戦後日本の安全保障論、朝日新聞などの報道姿勢を論じる。

2020-07-12
【背景】
以下は、2020年7月12日付の産経新聞に、「“内なる敵”が日本を滅ぼす」と題して掲載された門田隆将氏の連載コラムをもとにした論考である。
門田隆将氏は、国家と国民にとって何が最も重要なのかという原点から、安全保障、歴史認識、報道機関の責任を問い続けている。
私は、門田隆将氏を、今日の日本で最も重要な仕事を続けているジャーナリストの一人であると評価している。
本稿が掲載された2020年当時、日本では、地上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の配備計画停止を受け、敵国のミサイル発射拠点を攻撃する能力を保有すべきかどうかが大きな政治課題となっていた。
中国や北朝鮮のミサイル技術は急速に進歩し、発射された後にすべてを迎撃することが困難になる可能性が指摘されていた。
そのような状況において問われたのは、日本が国民の生命を現実に守るために、何を備えるべきかという問題だった。
【国家と政治家の最大使命】
国民の命をどう守るか。
いうまでもなく、これは国家と政治家の最大使命である。
国家が存在する第一の理由は、国民の生命、自由、財産を守ることにある。
ところが日本では、この最も基本的な原則が、安全保障論議の中でしばしば見失われてきた。
日本を攻撃しようとする国家の意図や能力を直視するよりも、日本が防衛能力を持つこと自体を危険視する議論が繰り返されてきたからである。
門田隆将氏は、そのような政治家、報道機関、活動家について、自らが日本国民の生命を危険にさらしていることに気づかないまま、他国を利する結果を生み出す存在として、「内なる敵」という厳しい言葉を用いている。
【門田隆将氏の指摘】
門田隆将氏は、次のように書いている。
「国民の命をどう守るか。いうまでもなく、これは国家と政治家の最大使命である。だが残念なことに日本ではそのことを政治家やマスコミがほとんど理解していない」
さらに、イージス・アショアの配備停止を受けて浮上した敵基地攻撃能力の議論について、発射後の迎撃だけでは国民の生命を守り切れない場合を考えれば、発射前に攻撃を阻止する能力を検討することは当然であると論じている。
敵国が日本に向けてミサイルを発射しようとしているにもかかわらず、その発射拠点への反撃能力を持つことさえ否定するならば、日本は攻撃を受けるまで何もできない国家になってしまう。
それは、国民の生命を守る責任を放棄することに等しい。
【敵基地攻撃能力をめぐる新聞論調】
当時、朝日新聞は、敵基地攻撃能力の保有について、次のように主張した。
「中国や北朝鮮、ロシアなどの反発を招き、かえって安保環境を悪化させてしまうおそれもある」
毎日新聞も、次のように論じた。
「敵基地攻撃能力を持てば、周辺国の警戒感が高まり、安全保障環境を悪化させる可能性もある。専守防衛を逸脱することは許されない」
これらの主張で優先されているのは、日本国民の生命を守るために何が必要かという視点ではなく、中国、北朝鮮、ロシアがどのように反応するかという視点である。
しかし、日本の防衛政策は、まず日本国民の安全を基準として決定されなければならない。
日本を攻撃する能力を増強している国家の反発を恐れ、日本が必要な防衛力を持つことを断念するならば、それは抑止力を弱め、かえって攻撃の危険を高めることになりかねない。
一方、読売新聞は、「『侵略戦争につながる』といった空疎な論議に終始してはならない」と論じた。
産経新聞も、「ミサイル攻撃から国民を守るために、より明確な方法に置き換える必要がある」とした上で、敵基地攻撃、すなわち反撃能力の保有を本格的に検討すべきだと主張した。
同じ問題を扱いながら、新聞各紙の立脚点は根本から異なっていた。
一方は周辺国の反発を第一に考え、もう一方は日本国民の生命を守る現実的な方法を考えていたのである。
【朝日新聞と戦後日本の問題】
私は、2014年8月頃まで、朝日新聞を日本を代表する新聞の一つであると思い込んでいた。
しかし、慰安婦報道をはじめとする数々の問題が明らかになる中で、その認識は根本から覆された。
日本国内だけでなく、海外の読者も、朝日新聞の報道が日本の歴史認識と国際的評価に与えた影響を検証しなければならない。
戦後日本では、連合国軍総司令部、すなわちGHQによる占領政策と情報統制の下で、日本の歴史と国家の在り方に対する否定的な認識が広く定着した。
私は、その影響が日本国憲法、安全保障政策、教育、報道の中に長く残り、日本が自国を守る当然の権利についてさえ、自由に議論することを困難にしてきたと考えている。
朝日新聞は、その戦後的な思想を代表する報道機関となった。
日本の防衛力強化には厳しい批判を向ける一方で、中国共産党政権や北朝鮮政権による軍備増強、ミサイル開発、人権侵害に対しては、同じ水準の危機感を示してきたのか。
そのことが厳しく問われなければならない。
【「内なる敵」とは誰か】
「内なる敵」とは、単に政権を批判する者や、異なる政治的意見を持つ者を指す言葉ではない。
民主主義社会において、政府を批判し、政策について議論することは当然の権利である。
問題は、日本国民の生命を守るために必要な現実を無視し、結果として日本を攻撃しようとする国家を利する主張を繰り返すことである。
中国や北朝鮮は、日本が反撃能力を持たず、攻撃されるまで行動できない状態が続くことを望んでいるだろう。
日本国内の政治家や報道機関が、同じ結果をもたらす主張を続けるならば、その主張が誰を利し、誰を危険にさらすのかを、国民は冷静に見極めなければならない。
本人が善意で行動しているつもりであっても、その結果が国民の生命を危険にさらすならば、政治的、社会的責任を免れることはできない。
【文明のターンテーブルという視点】
私は、人類の文明が自由、民主主義、法の支配、人間の尊厳を守る方向へ進んでいくことを、「文明のターンテーブル」の進展として捉えてきた。
ところが、虚偽の宣伝、歴史の政治利用、軍事的威圧、一党独裁を容認する言論は、この文明の進展を止めようとする。
中国共産党政権や北朝鮮政権の軍事的膨張と人権抑圧を直視せず、日本の防衛力だけを問題視する言論は、自由主義社会を守るための議論とはいえない。
朝日新聞をはじめとする報道機関が、結果としてどの国家、どの政治体制を利してきたのか。
日本国民だけでなく、世界の人々も、その報道内容と歴史的影響を検証する必要がある。
【結論】
国民の生命を守ることは、国家と政治家の最大使命である。
この原則よりも優先されるものはない。
日本に向けられたミサイルを発射後に迎撃するだけで十分なのか。
迎撃できなかった場合、誰が国民の生命に責任を負うのか。
攻撃を未然に防ぐための反撃能力を持つことが、本当に戦争を招くのか。
それとも、反撃能力を持たないことが、相手国に攻撃の誘惑を与えるのか。
国民は、感情的な反戦の言葉だけではなく、現実に命を守るための政策を見極めなければならない。
また、新聞やテレビが、誰の立場から、誰の利益につながる主張を発信しているのかについても、厳しく検証しなければならない。
「日本よ、このままでいてくれ」と望んでいるのは誰なのか。
日本が自らを守る能力を持つことを、最も恐れているのは誰なのか。
門田隆将氏の論考は、その根本的な問いを日本国民に突き付けているのである。

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