人生の晩年に築かれた文学の五重塔――久木綾子『見残しの塔』と、誠実に生きた日本人の群像

70歳で夫を亡くした翌年、国宝・瑠璃光寺五重塔との出会いを契機に小説を書き始め、14年の取材と4年の執筆を経て、89歳で『見残しの塔』によって作家デビューした久木綾子。
女学校時代のドイツ文学、比叡山での仏教修学、松竹大船撮影所での仕事、45年間の専業主婦生活を経て完成させた歴史長編と、その作品に描かれた誠実で誇り高い日本人の姿を伝える。


2020年7月17日
2020年7月17日の新聞各紙は、当時17歳だった藤井聡太が史上最年少で棋聖位を獲得したニュースを大きく報じていた。
同日付の産経新聞「産経抄」は、その「最年少」の快挙に対して、あえて「最高齢」に光を当てた。
取り上げられたのは、89歳で作家としてデビューし、2020年7月13日に100歳で逝去した久木綾子である。
久木綾子は、70歳で夫を亡くした翌年、山口市の国宝・瑠璃光寺五重塔を訪れ、「この塔を建てた人たちを書いてみたい」と考えた。
その思いを実現するため、大工の棟梁に弟子入りして建築を学び、14年間の取材と4年間の執筆を重ねた。
そうして完成した歴史長編が『見残しの塔』である。
以下は、2020年7月17日付の産経新聞「産経抄」からである。
明らかな誤字と数字表記のみを整え、本文の内容に忠実に再掲載する。
【引用】
本日の紙面は将棋の高校生棋士、藤井聡太新棋聖(17)のニュースで持ち切りであろう。
なにしろ史上最年少でのタイトル獲得である。
ただコラムではあえて「最高齢」を話題にしたい。
今月13日、作家の久木綾子さんが100歳の大往生を遂げた。
『見残しの塔』(文春文庫)で平成20年にデビューを果たしたとき、すでに89歳の卒寿を迎えていた。
室町中期を舞台にした歴史長編は、「人は流転し、消え失せ、跡に塔が残った」という一文で始まる。
宮大工をめざして九州の隠れ里を出奔する若者や、新田義貞ゆかりのお姫様ら、多くの登場人物の人生模様が複雑に絡み合い、五重塔建設というクライマックスに突き進んでいく。
久木さんの人生もまた「流転」といえる。
女学校時代は、独文学にのめり込んだ。
仏教を学ぶために、比叡山の寺に1年間住み込んだこともある。
戦争中は松竹大船撮影所の報道部で原稿を書いていた。
もっとも25歳で結婚してからは、70歳で夫を亡くすまで専業主婦に徹した。
友人と山口市にある国宝、瑠璃光寺五重塔を訪れたのは、その翌年の平成2年だった。
「この塔を建てた人たちを書いてみたい」と思い立つ。
建築を学ぶために大工の棟梁に弟子入りもした。
取材に14年、執筆に4年もかけた作品こそ、久木さんの後世に残した五重塔だった。
「最後に心に残るのはひとりひとりの誠実さである……誇り高くも慎ましく生きた日本人の群像である」。
文庫の解説を引き受けた櫻井よしこさんが、この作品と出会ったのは、尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突事件の直後だった。
民主党政権の稚拙な対応を見て、暗くなりがちだった心が晴れていったという。
コロナ禍の今こそ、読まれるべき一冊かもしれない。
【再掲載にあたって】
久木綾子の生涯は、人間の仕事に「遅すぎる」という言葉が当てはまらないことを示している。
70歳を過ぎて新たな主題と出会い、その主題を作品として完成させるために、14年の取材と4年の執筆を重ねた。
89歳での作家デビューは、偶然に生まれた晩年の成果ではない。
長い人生の経験と、対象に対する誠実な探究と、完成まで決して投げ出さなかった意志が生み出したものである。
『見残しの塔』に描かれたのは、歴史上の大人物だけではない。
名を残すことよりも、与えられた仕事を誠実に果たし、誇り高く慎ましく生きた一人一人の日本人である。
久木綾子自身の人生もまた、そのような日本人の一人として、作品の背後にそびえるもう一つの五重塔だったのである。

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