村田夏帆が長嶋なら、HIMARIは王である――「自分の音」を知るということ
NHKが特集したHIMARIの番組だったと記憶している。
あるいはテレビ朝日だったかもしれない。
その番組の中で、HIMARIは、なぜそれまで弾いていたヴァイオリンから現在の楽器へ替えたのかについて、極めて重要なことを語っていた。
私は、その言葉を聞いた瞬間、これまで書いてきた自分自身の評価を改めた。
それまで私は、村田夏帆とHIMARIという二人の途方もない才能を高く評価しながらも、本当に微妙な差ではあるが、夏帆の方に一日の長があると感じていた。
ところが、その理由を、ほかならぬHIMARI自身が明らかにしたのである。
HIMARIは、それまで使用していたヴァイオリンについて、自分には自分の本然というものがあり、その自分の本然の音が、その楽器では十分に出せないと感じていた、という趣旨のことを語った。
そして、特にG線について、自分が求めている音との違いを感じていたことを話していた。
私は、この一言に驚いた。
単に「もっと良い音のするヴァイオリンが欲しかった」のではない。
自分の内側に、既に「自分の音」があるのである。
その音が、現実に手にしている名器から出てくる音と一致しているかどうかを、彼女は聴き分けていた。
しかも、それをまだ十代の少女が語っている。
これは、技巧が優れているとか、音程が正確であるとか、難曲を軽々と弾くとか、そういう次元の話ではない。
演奏する以前に、自分の中に音楽があり、自分の中に音があり、その音を現実世界に生み出すために楽器を選んでいるのである。
私はHIMARIのこの言葉を聞いたとき、彼女が村田夏帆と並ぶ、まさに超弩級の天才であることを改めて認識した。
そして、それまでの私自身の表現を改めた。
村田夏帆が長嶋なら、HIMARIは王である。
優劣という意味ではない。
長嶋茂雄と王貞治が、まったく異なる個性を持ちながら、日本野球史に並び立つ二つの巨大な峰であったように、村田夏帆とHIMARIもまた、それぞれに異なる天性を持ちながら、同じ時代に日本から世界へ現れた二つの巨大な才能なのである。
夏帆には夏帆にしかない音楽がある。
HIMARIにはHIMARIにしかない音楽がある。
そしてHIMARIは、「自分の本然の音が出ない」という一言によって、既に自分だけの音楽世界を持っていることを、自ら明らかにしたのである。
ほんのわずかな違いだった。
私がかつて夏帆の方に感じていた「一日の長」とは、この部分だったのです。
しかしHIMARIのあの言葉を聞いた瞬間、その差は私の中から完全に消えた。
村田夏帆とHIMARI。
この二人は、日本が世界に誇る最高級の両雄である。
そして今の日本には、この二人に勝るとも劣らない素晴らしい才能が、まさに綺羅星のごとく次々と現れている。
なぜ今、日本からこれほどまでに優れた若い音楽家たちが現れているのか。
その理由については、私は既に書いてきた。
だが、こうした若い才能たちの演奏に触れるたびに、改めて思う。
天才とは、ただ人より速く弾ける人間ではない。
誰よりも難しい曲を弾ける人間でもない。
まだ世界のどこにも存在していない「自分の音」を、自分の内側ですでに聴いている人間なのである。
HIMARIの「自分の本然の音」という言葉は、そのことを何より雄弁に物語っていた。