フェノロサの奇跡と法明院――大津の少年を想い、荒れた現状に怒る

前章の喫茶店で美味しい珈琲を飲んでいた時に、思ったのである。
この間の、あの蝶…フェノロサの奇跡…は、ひょっとして、彼だったのではないだろうか。
この世で、最も醜悪な悪に、苛まされ続けて、終に、これ以上ない無念…これから、人間である事の所以である、知的な世界に=大人の世界に踏み出そうという、鳥羽口で、痴呆テレビの20年超、35年超が作った「下品」の悪に、捕まって、殺された。
これ以上の無念は、何処にも無いのである。
この事については、後日、私にしか出来ない論説を書く。

この部分は、今直ぐには全く住めるような状況ではないが、フェノロサが、此処で暮らしていた往時が浮かんでくる。
日本にとっての大恩人が、此処で暮らし、そのお墓まで在る場所が、こんなに荒れ果てた様な姿で、放っておいて、武村正義なんぞの大きな石碑だけは設置している感覚が、今の滋賀県の感覚なのだろうと、私は、最初の時も思ったのだが、昨日は、痛感しただけではなく、怒りすら覚えた。
…この県には、知性が足りないのではないか。
人間とは知性であるとの哲学すらないのではないか、と。
因習と慣習の中に生きている街…そんな感じは最初からしていたのだが。

2012/7/14、法明院にて。

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