あの日、少年も「フェノロサの奇跡」と共にいたのか――法明院での思索
私は、今、源信を知って、「我は21世紀の源信である」と云いもしているのだが。
そんな私が、殆ど、誰も訪れる事のない、法明院を訪れて、正に、彼が、その身を落としたマンションが見える場所に、佇んでいた。
あの時の、蝶の、一度、二度の、纏わりつき方は、フェノロサと云うよりも、少年のそれだと考えた方が当たっているかも、と思った時だった。
私の胸を衝いたのである。
慟哭を感じた。
子供は可愛いと云うのが、今の日本の風潮である訳だが、幼年時代の、普通の子供というのは、猿と変わらないのである。
だから、ドイツを筆頭とした欧米では、幼児は厳しく躾けるのである。
有名レストランや劇場に、幼児を連れて来るものはいないのである。
幼児の時から、思索をしているのは、Giftedだけ。
Giftedが、そこらには居ない事は云うまでも無い。
これから、人間としての世界、限りない豊饒と幸福に満ちた世界に踏み出す前に、この世で、最も醜悪な、「下品」、の悪に遭遇して、一命を落とした少年が、あの日、私と一緒に、フェノロサの奇跡を為していた、と考える方が、当たっているかもしれないな、と、私は思っていたのである。
2012/7/14、法明院にて。