「存在しなかった証拠がないから、存在したに違いない」は論証にならない――「未知論証」「悪魔の証明」「背理法」から考える慰安婦問題と南京虐殺問題

慰安婦問題と南京虐殺問題をめぐり、「存在しなかったという証拠がないから、存在したに違いない」という論法を、未知論証、悪魔の証明、背理法の観点から検討し、日本政府の歴史問題への対応を問う。

本稿は前章に続き、「自虐史観はいかに発揮されたか」という論点の下で、慰安婦問題及び南京虐殺問題をめぐる議論に用いられてきた論理構造を検討したものである。
とりわけ、「なかったという証拠がないから、あったに違いない」という推論を取り上げ、「未知論証」「悪魔の証明」「背理法」という論理学上の概念から、その妥当性を問うている。
以下、2020年8月30日に発信した原文を掲載する。
2020-08-30

以下は前章の続きである。
第二章 自虐史観はいかに発揮されたか
世紀日本の『歴史学』永原慶二 平成15年 吉田弘文館
『戦争犯罪論』横田喜三郎著:昭和22年有斐閣 98ページ
■ 政府は慰安婦問題も南京虐殺問題も「なかった」と断言せよ
日本を非難する論調には、「日本は慰安婦の強制連行はなかったと言うが、そんな証拠はないのだから強制連行はあったに違いない」という類の議論が多い。
「なかったという証拠はないから、あったに違いない」というのは、論理学でいう「未知論証(Ad Ignorantiam)」といって、全くの誤りである。
たしかに論理的には「あることが無かった」ことを完全に証明するのは「悪魔の証明」(Probatio Diabolica)と言って著しく困難である。
無かったことを証明するためには、世の中の森羅万象の全てを調べ尽くさなければならないが、そんなことは不可能だからだ。
しかし、「背理法」(Reductio ad Absurdum、帰謬法ともいう)では、AとBの双方が同時に存在することは絶対にあり得ないという前提が証明できれば、“Aが存在する”ことを証明することにより、“Bが存在しない”ことを証明することが出来る。
それでは間接的だから証明にならないという意見があるが、これは正統な論理による立派な証明だ。
日本政府も「慰安婦の強制連行があったという事実は“確認できなかった”」などと自信なさそうに言うのではなくて、はっきりと「事実無根である」と断言すべきである。



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