習近平の皇帝化と「つかのまの自由」の終わり――石平さんが見抜いた中国共産党独裁の本質

2017-7-28
以下は石平さんの本物の論文、本当の労作の最終章である。
つかのまの自由の終わり
中国の長い歴史の中でわずか数十年間、多少中国人民が自由な空気を吸いました。
共産党の管轄のないところで会社をつくって儲けることができた。
多くの人々が自分の資本でささやかな商店を開くことができた。
税金をちゃんと納め、あとは多少地元の幹部に賄賂さえ払えば、共産党に監視されコントロールされることはありませんでした。
それでみな儲かって子どもを海外に送り、自分たちも海外旅行を楽しみました。
とりたてて反共産党活動をしない限り、共産党と関わりを持たなくてもよかった時代でした。
はじめて中国人民がそういうささやかな自由と幸せを手に入れた期間だったといえます。
鄧小平時代の基本政策、特に天安門事件以来の政策は、人民にある程度の自由と、ある程度の裕福になるチャンスを与えていました。
その代わりに共産党にたて突くなという、ある意味では政府と人民との取引が成立していた。
だから大半のエリートたちも一般の人たちも、あえて共産党に逆らおうとはしませんでした。
そして共産党も人民にある程度の自由を与える、という棲み分けができていました。
世界の多くの人々はこの数十年間の変化を見て、中国は根本的に変わったかと思うかもしれません。
もう昔の中国ではなくて、近代化して普通の国になったのだと。
中国を訪れる旅行者も他の自由主義諸国への観光と同じように好きなところに出かけていく。
しかしこの数十年の変化は、中国の長い歴史からすれば一時的な現象であって、必ずまた伝統的で極端な独裁体制に戻る、そういう力学が働いているのです。
この秋の党大会を終えれば、さらに習近平の皇帝化が進むことが予想されます。
中国人民が、気がついたら習近平という独裁者の奴隷になっていたということです。
いま共産党政府が行っている、共産党組織と秘密警察によってすべての人民を監視する動きが活発化しています。
百五十万人の武装警察が人民のあらゆる活動を押さえつける。
そして徐々に国民から自由を奪い、財産を奪っていく。
長い歴史の中のほんの一時の自由を謳歌した中国を、すべて共産党の私物にしてしまう伝統的な独裁体制に戻りつつあるのです。
中国の大都市の空港に降りたってみれば、高速道路があって、高層ビル群がある。
街に繰り出せば着飾った若者が談笑し合い、華やかなお店が競い合うように軒を並べている。
私たちの目には、世界の自由主義国の都市と変わらないようにみえる。
しかし、中国社会の本質は日本人にとってまったく異質であることを認識する必要があります。
人の自由を奪う、人の命を奪うことに何のためらいもない政権、権力が存在しているのです。
近代文明の社会、法治、人権意識をもっている社会と、まったく正反対の、いわば古代社会の野蛮性、残虐性を本質に持つ社会の対立があることを理解しなければなりません。
彼らにとって日本人一人の命や自由を奪うことなど何のためらいもなくできるのです。
いまだに多くの中国ツアーがありますが、いま拘束されている十二人の日本人は、明日の私たちかもしれません。

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