民主党政権と野党政治の内実――官僚への敵対、質問通告の遅延、そして「ワイドショー政治」

月刊誌『Hanada』に掲載された、政治評論家・田村重信による衆議院議員・鷲尾英一郎へのインタビューを紹介する。民主党内の左派的体質、官僚への敵対姿勢、質問通告の意図的な遅延、テレビ映りを優先する国会運営について、民主党に所属していた鷲尾英一郎が内部の実態を証言する。

2020年9月7日
以下は、「野党にいて分かった売国野党の内幕」と題して月刊誌『Hanada』に掲載された、聞き手・政治評論家、田村重信による衆議院議員・鷲尾英一郎へのインタビュー特集からである。
立憲民主党と国民民主党の合流が難航し、国民民主党の玉木雄一郎代表は分党を選択したと報じられました。
理念、政策を大事にする玉木さんの行動は当然ですが、立憲民主党の枝野幸男代表も玉木さんも、総選挙が近くなって新しい党を立ち上げて世間の目を誤魔化し、選挙を乗り切ろうとしているだけ。
国民民主党内で、選挙を乗り切るための立場の違いが分党騒ぎにつながったのではないでしょうか。
注目しているのは、連合と共産党との関係です。
そもそも連合は共産党とは水と油の関係ですが、新党とそれを支援する連合は、共産党との関係をどう整理するのでしょうか。
選挙目当てで共産党と連携することを嫌がる真面目な末端の組合員も、たくさんいるはずです。
【とんでもない左派ばかり】
昨年3月、私は自由民主党に入りました。
2005年、28歳の時、地元新潟2区から民主党公認で出馬して初当選。
田中角栄先生の記録を破り、新潟県内最年少議員とメディアでも報じられましたが、民主党に入ってみると、入る前に抱いていたイメージとの落差に愕然としました。
所属議員が圧倒的に左派で占められていたのです。
当時、民主党は野党でしたが、枝野さんは憲法九条改正に賛成、鳩山由紀夫さんは「新しい憲法を作るべきだ」と主張、前原誠司さんは堂々と集団的自衛権を認めるべきだと繰り返し述べ、小沢一郎さんに至っては集団安全保障で自衛隊を運用すべし、とまで言っていました。
外から見ていても保守的な考えが前面に出ており、従来の社会党とは明確に違うと感じました。
国家の安全保障政策こそ二大政党化のための鍵です。
「これなら現実的な二大政党となり得る」
そう考えた私は、民主党の公募に応募したのです。
私が尊敬する岸信介先生は二大政党政治の必要性を説き、そのためにも小選挙区制にすべきだとの考えのもと、実際、総理総裁になった時、社会党の書記長に「小選挙区制に変えよう」と提案。
小選挙区制にすることで良い人材が自民党に偏らず、野党でも責任ある議論ができる。
政党間が競争することで、日本の政治が良くなる。
そうした岸先生の考えに感銘を受けた私は、民主党に入り、二大政党制を実現させたいと強く思っていました。
公募用紙の「私の志」という欄には「教育勅語を参考にした教育を」と、バリバリの保守をアピール。
その私を選挙区で公認するのですから、民主党はいまで言う多様性を認める政党であり、現実的な議論を行い、政策に反映していけると期待しました。
ところが甘かった。
入ってみると、とんでもない左派ばかり。
このギャップは凄まじかった。
とにかく私が何を言っても、完全に変人扱いです。
慰安婦問題や南京事件など、入党した当初から積極的に発言していました。
慰安婦問題では、渡辺周さんらと党内で議連を作り、石原信雄元官房副長官にインタビューを行い、慰安婦問題が政治的な所産であったことを明確化しました。
それを党内で共有しようとしても、全く響かない。
保守派は私たちごくごく一部だけで、圧倒的多数がバリバリの左派。
それでも、より多く仲間を増やそうと努力したのですが、一向に増える気配すらありませんでした。
政権交代を果たしたのは、私が当選2期目の2009年。
ところが、民主党の杜撰な政権運営で、国民の支持が瞬く間に離れていったことは周知のとおりです。
これは私が当選一期の野党時代から感じていたことですが、民主党の先輩方、たとえば菅直人さんが象徴的でしたが、とにかく官僚に対する敵対視がものすごかった。
「官僚はバカで、俺たちのほうが頭がよくて、うまくできるんだ」という思い上がりから、党の部会などでも徹底的に官僚を吊し上げる。
政権交代前は民主党への支持が高かったため、「これが正しいんだ」と勘違いしてしまったのでしょう。
【質問通告をわざと遅らせる】
下野したあと、そのことを教訓として官僚とよい関係を築くべきなのに、いまの野党を見ているとどうか。
正規の委員会でも何でもない国会の控室に、何の権限があるのか官僚を呼びつけ、テレビカメラを入れて「資料を出せ!」などと糾弾している。
官僚の皆さんは本当に気の毒です。
体質が全く変わっていない。
いや、ますます酷くなっている。
そして、常に一本調子で吊し上げるので、国民からは「またやっているのか……」と呆れられている。
でも、自分たちはそのことに全く気付いていない。
あれで支持率が上がると思い込んでいるのです。
いま、若手の優秀な官僚が次々と霞が関を去っていると聞きます。
国家にとって、損失以外の何物でもありません。
質問通告にしても、わざと遅らせる民主党の先輩方を嫌というほど見てきました。
忘れもしない、私が当選1期で、国会で初質問をするとなった時のことです。
全てが初めてのことで右も左も分からず、質問通告も緊張しました。
官僚から「質問を取りに行かせて下さい」と言われ、分からないなりに真摯に対応していたら、民主党の先輩議員から何と言われたか。
「そんなに丁寧に質問通告なんてしなくていいんだ!」
なぜ、わざと遅らせたり、官僚を困らせるようなことをするのか理解できず、私は最後まで従わなかったので、先輩方からは「鷲尾は生意気だ」と思われたはずです。
いまの野党を見ていると、こうしたことがますます酷いかたちで行われています。
官僚との付き合い方を含め、再び政権をとるために真っ当な姿勢で臨んでいない。
【ワイドショーしか頭にない】
国会運営にしてもそうです。
下野したあと、どのような国会運営を行ってきたかと言えば、翌日のワイドショーで視聴率をとれるかどうかを考えて、それに準じて質問時間を配分していたのです。
つまり、野党の国対(国会対策委員会)は、自分たちがいかにテレビに映り、テレビに取り上げてもらえるかばかりを考えている。
いわば、ワイドショー政治を助長させているのです。
私は予算委員に選ばれたことがなかったので、予算委員会が開かれている1月、雪で覆われた地元新潟を一軒一軒歩きながら、直接、有権者の声を聞き続けました。
そこでは「おたくの党は何を質問しているんだ」「もっと訊くべき大事なことがあるだろう」など、厳しい声を多くいただきました。
それをそのまま党の幹部に話すと、何と言われたか。
「お前、何を生意気言ってんだ。そんな生意気なこと言ってんだったら、テレビに出さないぞ!」
これが実態です。
他の野党議員も、こうした幹部の意向に従って泣く泣くやっているのかもしれませんが、少なくとも私は抵抗し続けました。
「そうですか。だったら私は地元を歩いてますから」
そう言って、地元でひたすら一軒一軒訪ね歩き続けました。
野党時代、4期12年の間に予算委員会で1度も質問したことがなく、テレビカメラが入る場での質問も1度もなかったのは私だけでした。
ですが、いま考えると、自分の筋を曲げず、愚直に活動を続けてきて本当によかったと思っています。
当時の幹部はいまも野党の幹部です。
まだ50代から60代前半ですから、これからも野党の幹部として居座るでしょう。
つまり、野党の体質はこれからも全く変わらない。
建設的な国会での議論より、一辺倒の政府批判と官僚の吊し上げです。
この稿続く。

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