2026年8月30日、片山柊「ピアノ協奏曲」世界初演――「I found you」、今の音楽、世界一の響き

不可抗力による悪影響から免れて、8月28日の素晴らしい演奏会と今日の演奏会に私は出席することができた。
特級グランド・コンチェルト2026
日時:2026年8月30日(日)14:00開演(13:00開場)
会場:ザ・シンフォニーホール
指揮:藤岡幸夫
管弦楽:関西フィルハーモニー管弦楽団
プログラム(演奏順)

  1. 片山柊:ピアノ協奏曲(委嘱新作・世界初演)
    ピアノ・作曲:片山柊
  2. ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18
    ピアノ:進藤実優
  3. チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23
    ピアノ:黒木雪音
    今日、私は、初めて開演1時間前に着くようにタクシーで向かった。
    既述のように、本公演のチケットは、販売開始日から大分経って知ったにも拘わらず、1階席1枚、2階バルコニー席1枚が、幸運にも取れたものだった。
    若干の当日券発売を行うとの記事を目にした私は、私の求める席があるかもと思って、販売開始の13時に間に合うように向かったのである。
    気温が急激に上がって暑かったから、夏用の薄いジーンズ、夏用の薄いランニング用靴下、エアリズムの下着に、オーバーサイズの半そでシャツという極めて軽装で向かった…これと、開演直前に甘いものが欲しくなって劇場内で珈琲を頼み砂糖二杯を入れて飲んだ。
    珈琲は体を冷やす事、おまけに利尿作用があることを失念して。
    ふと不安を覚えたので、親友に、半分飲んでと言ったのだが「珈琲を飲むとトイレに行きたくなるから…」と拒絶された。
    この件が、最後の不可抗力を齎すとは、この時点では知る由もなかった。
    さて、
    1階席のチケット一枚もなかったので、私の席…初めて座る場所である…と親友の席からの見え方等を確認した。
    楽しい時間だった。
    シンフォニーホールは、もはや、勝手知ったる他人の庭の様なはずだが、全容を、今日の様に観るのは初めてだった。
    楽しかった。
    シンフォニーホールが音響効果に優れたホールである事を再認識した。
    なるほど、映像撮影は、ここから行っているのか、etc.
    実に楽しかった。
    親友は2階のバルコニー席が大好きだという。
    うむ。
    私の席も、実に良かった。
    ピアニストの運指が明瞭に分かる。
    1時間前に到着は、初めての事だったから、たっぷり時間があった…これが最後の不可抗力を齎すとは…
    上記の理由で、初めてホール内ラウンジで珈琲を飲んでいる時に、藤岡氏のプレトークが始まった。
    終わらないうちに席に戻った。
    プレトークのメインは、第一演奏者の片山柊氏と世界初演の作品についてだった。
    開演。
    私は、本当に驚いた。
    クラシック演奏会にカムバックして以来の最大にして最高の驚きだった。
    I found you.
    私の天才は、彼の才能に呼応した。
    私が聴きたかった音楽が、そこにあった。
    これこそ現代の音楽である。
    これまで聴いて来たものは何であれ、平均200年前、或いはそれ以上前の作品である。
    ついでに言えば、私は、所謂、現代音楽…シェーンベルクに代表されるような…には全く興味が無い。
    聴かないと言う意味ではなく、聴いても、聴きたいとは思わない。
    あれが現代音楽だなんていうのなら私はノーという。
    あれなら、ビートルズやボブディラン、或いは最高のロックバンドや歌手の方が遥かに上だと極言しても良い。
    そもそも、私はクラシック音楽を衒学的に語る事には一切興味が無い。
    衒学的に語る人間にも全く興味が無いし、彼らには何らの価値も見出さない。
    極言すれば、うさん臭さを感じるだけである。
    音楽は…これは私の流儀上の言説であるが、語るものではなくて、感じるものだからである。
    音楽だけが肉体を持っている、コンサートホールは響きを感じる場所である。
    だから日本の現状のままには、私は大いなる不満と懸念を有している。
    史上最高の名演が、本当に、その場限りで良いんですか?
    それなら、その演奏に意味がありますか?
    直ぐに消えてしまうもの、再現されないものに、どんな値打ちがありますか?
    花火だって生中継=録画できる時代ですよ。
    音楽をコンサートホールだけに閉じこめておいて良いんですか?
    それは音楽と言う芸術に対する冒涜ではありませんか?
    音楽までを消費文化にしているだけの事ではありませんか?
    どうして、歴史的な名演を、間髪を入れず、世界中の人たちに知らしめないのですか?
    無料である必要はありません。
    有料で良いではありませんか?
    それこそが、楽団員の待遇アップにつながる唯一の道だと私は確信しますが。
    勿論、クラシック音楽と言う芸術の大切さに気がつく政治家がいて、各地の優秀な管弦楽団・団員の給料をNHKの職員の給料よりも高くするのが当たり前である事が、当然の事として分かる政治家だけの世界である事が一番ですが。
    それは極言すれば見はてぬ夢のようなものでしょう。
    現代はデジタルの時代、ネットの時代です。
    私の、この文章が真実を穿つ文章であれば、発信した直後に、フランスの演奏家から、いいね、が届く。
    それが現代です。
    これまでのクラシック音楽の関係者達は化石時代を生きて来たのだと言っても過言ではありません。
    何故、今日の、片山柊の歴史的な作品…終に現れた21世紀の作品、否、今、の作品。
    当代最高の名曲。
    昔も今も、三つの言葉で言えば、人は生きて愛して死んで行く、その事は何一つ変わらない。
    だが、
    今は美しい、数百年前よりも今は多くの点で素晴らしく美しい。
    今は素敵だ。
    多くの点で、300.200、100年前よりも素敵だ。
    片山柊は、今日、その事を、音楽で、響きで表現し完成した。
    稀代の名品の誕生だった。
    私が、心から待ち望んでいた、今の作品、世界一の響きが誕生した午後2時だった。
    演奏終了後に、幾つかの言葉が自然、当然に私の口から発せられた。
    「ブラボー」「グレイト」「ジーニアス」「ビューティフル」「君は最高だよ」
    発しなかったけれど、一番、相応しい言葉は、「I found you」だったろう。
    天才は天才を知る。
    片山柊の天才に、私は無限の賛辞を贈る。
    文中の、最後の不可抗力に遭遇の件は、次章以降に…。

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