なりすましが奪うもの――本名での再出発と、普通の市民が受ける被害
以下は、前稿の後日談である。
私は、Xを新しいアカウントに切り替えるに当たり、Facebookでも本名を掲げて発信することにした。
セキュリティについては、有力AIと相談し、私にできる限りの対策を講じた。
Instagramにも、本名で登場することにした。
その過程で知ったのが、Threadsだった。
時系列を少し戻すと、まだXの新しいアカウントを作る方法が見つからず、再出発できていなかった時のことである。
私は、有力AIと相談し、Xの代わりとなる発信の場として、Threadsに登録した。
ところが、そのThreadsも、ごく短期間のうちに凍結された。
理由は、私には全く分からなかった。
私は、それ以上の対応に時間を費やさず、そのまま放置した。
長年の被害の経緯から、私はここでも、あの人物による悪意ある通報などの関与を疑った。
SNSの仕組みを悪用して、他人の発信を止める方法を熟知しているのではないか。
そのうえで、私が何を経験し、何を疑ったのかを、記録として残しておく。
さて、担当の若い刑事さんに教えてもらったとおりに、Xでの発信を再開した時のことである。
再開して間もなく、小泉進次郎氏を名乗るアカウントから、フォローの通知が届いた。
私は、最初、それを本人のアカウントだと思った。
小泉氏の投稿に、時々「いいね」を付け、リポストもしていたからである。
ところが、返ってきた文章を読んで、何だ、これは、と思った。
そこには、エンターテインメントに邁進していくという趣旨のことが書かれていた。
政治家の小泉進次郎氏を名乗りながら、エンターテインメントに邁進するという。
私は、その不自然な文面から、なりすましだと気づき、直ちに削除した。
すると今度は、著名なバンド、Mrs. GREEN APPLEのリーダーを名乗るアカウントから、フォローの通知が届いた。
これも、私はなりすましだと判断した。
一体、何なのか。
私は、これらの出来事に、私の旧筆名をかたった人物の関与を疑った。
誰にでもなりすませるのだから、私の筆名をかたったことも大した問題ではない。
そんなふうに、自分の行為を軽く見せようとしているのではないかと感じたのである。
これらのアカウントを同一人物が運営していると確認できたわけではない。
だが、私がそのような疑いを抱くに至った背景には、前稿で記した長年の被害がある。
そして、運営者が誰であろうと、ここには決して軽く扱ってはならない問題がある。
私は、日本中の弁護士の皆様に訴えたい。
なりすましによる被害を、著名人の事例だけを物差しにして考えないでいただきたい。
もちろん、著名人であっても、なりすましによる被害を受けることはある。
しかし、広く顔と名前を知られ、本人の発信先を多くの人が認識している人物と、無名の一市民とでは、偽物に対抗する条件が違う。
普通の市民には、訂正や否定を一度発信すれば、それが広く報じられるような立場はない。
自分の名前をかたられた時、事情を知らない人に、どちらが本人なのかを説明するところから始めなければならない。
自分が書いてもいない文章を、自分の言葉だと思われる。
自分が取ってもいない行動を、自分の行動だと受け取られる。
長年積み上げてきた信用を、他人の振る舞いによって傷つけられる。
それを正すために、被害を受けた本人が、時間も労力も費やさなければならない。
なりすましが奪うのは、名前の表示だけではない。
その名前に結び付いた信用であり、人とのつながりであり、本人が自分の言葉を届ける機会である。
無名だから、被害が小さいのではない。
無名の人間だからこそ、いや、無名の人間こそ、被害が実はとても大きいのである。
無名であるがゆえに、被害を訴える声が届きにくく、訂正も広がりにくいのである。
私は、自分の文章を長年にわたって書き続けてきた。
筆名にも、本名にも、その年月が結び付いている。
それを他人が勝手にかたり、私と読者との関係を混乱させることを、軽い悪ふざけとして片付けられては困る。
「インターネットでは、よくあることだ」
その一言で、被害者が失った時間も信用も戻ってはこない。
よくあることなら、なおさら、普通の市民が救済を求められる道が必要ではないか。
私自身、こうした被害について相談し、対応してくれる専門家を見つける難しさを感じてきた。
だからこそ、法律に携わる皆様に、この被害の重さを知っていただきたいのである。
私は、証拠と経緯を積み重ね、責任を問うべき行為について、法の下で責任を追及する。
刑事責任を明らかにし、有罪判決に至るまで追及する覚悟である。
怒りを言葉にするだけで終わらせるつもりはない。
普通の国民が、自分の名前を守り、自分の信用を守り、自分の言葉を自分の言葉として届けられること。
それは、有名にならなければ認められない権利であってはならない。
日本中の弁護士の皆様。
なりすましによって、普通の市民にどれほど深刻な被害が生じ得るのか。
この文章を、その現実に目を向ける一つの契機としていただきたい。